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「君はコルベールセンセだね! こんなトコで奇遇ですなあ!」 馬に乗っていたコルベールが頭の上から名を呼ばれたのは、その日の昼前のことだった。 ラ・ロシェールを抜け、タルブ村へと続く街道を進んでいたコルベールの前に風竜が降り立ち、その背から見慣れた生徒達が降りてきた。 「そういう君はミスタ・ジョースター! それに……ミス・ヴァリエールにミス・ツェルプストーにミスタ・グラモン! どうしたんだね、こんなところで」 研究旅行という体で一週間ほど前からいなくなっていたことは知っていたが、パッと見でも明らかに研究旅行などと言う大層な旅をしているのではないのはすぐ判った。 メイド連れの上、学院の生徒ではないらしき青年も一人混ざっている。 「そろそろ学院に帰ろうってコトになったんじゃが、近くを通りかかったんでタルブのワインを買い付けようって話になってな。コルベールセンセもワインが目当てで?」 自分から研究旅行なんてうそっぱちですよと豪快にバラすジョセフの言に、ちょっとした苦笑を浮かべながらコルベールは首を横に振った。 「いや、私はちょっと興味深い話を見つけたのでね。『竜の羽衣』というマジックアイテムがタルブという村にあるらしいんだが、それがどんなものかこの目で確かめに来たんだ」 竜の羽衣、という単語を聞いたシエスタが、驚いて声を上げた。 「『竜の羽衣』ですか!?」 「あらシエスタ、あなた何か知ってるの?」 好奇心旺盛なキュルケが、興味津々でシエスタに振り向いた。 「……ええ、『竜の羽衣』は確かに私の村にありますけれど……マジックアイテムじゃないという話なんです。確かに空を飛んでタルブに来たのを村の人達が見てたらしいんですけれど… …それ以来、一度も空を飛んだことがないんです」 視線を彷徨わせながら選び選び言葉を続けるたどたどしさに、沸点がイマイチ低いルイズが眉間に皺を寄せ始めた。 「何よ、随分詳しいじゃない。で、その『竜の羽衣』って一体なんなのよ?」 「ええと、その……私達にもよく判らないんです。私のおじいちゃんがこれに乗っていたんですけれど……こうやって話すより、実際に見て頂いた方が……」 突然の告白に、その場にいた全員の視線が一瞬完全に沈黙する。その沈黙も数秒後、一斉に破られると同時に貴族達の視線がシエスタへ向けられた。 「ちょっと! それをどうしてもっと早く言わなかったの! 今までの苦労は一体何!」 「す、すいませんミス・ヴァリエール!」 「そうよ、そういう代物なら私のツテを使えばどうとでも好事家に高値で売り捌けるのに!」 「君は酷い女だな、ミス・ツェルプストー……」 「まあまあ、これからの話は実際に『竜の羽衣』を見てからでも遅くはないだろう?」 ルイズがブチ切れ、シエスタが謝り、キュルケが早速売り飛ばす算段を始め、ギーシュがあきれ、ウェールズが宥め、タバサは読書を続ける。 「若いっていいよなァー」 「たまには抑えてもらえると有難いんだが」 盛り上がりを見せる若者達の輪を、ジジイとハゲは温かい目で眺めていた。 さてタルブという村は、ハルケギニアに数多く点在するのどかな農村だ。名物はワイン、それもトリステインだけではなく近隣の国でも結構高値がつく上質なワインである。 その為、行商人だけではなく時折貴族が直々にワインを買い付けに来ることも珍しい事ではなかった。 だが、そんなタルブ村でも同じ日に六人の貴族の来訪を受けるのは非常な珍事だった。 しかも彼らがワインに目もくれず、村の近くの草原に建てられた寺院に安置されている『竜の羽衣』を見に行くというのは、かなり有り得ない出来事だった。 「――こいつは……」 寺院を目の当たりにしたジョセフは、身動きもせずにじっと寺院を見つめていた。 「どうしたのよジョセフ」 使い魔が普段見せない不審な様子を目敏く見つけたルイズが、不審げな視線でジョセフを見上げる。 「まあ……見たことのない建物ね。ゲルマニアにもない感じだわ」 キュルケもジョセフの横に立って寺院を一瞥したが、十七年の生涯の中でも目にしたことのない、不可思議な雰囲気の建物だった。 丸木で組み上げられた朱色の門、板と漆喰の壁を木の柱に組み合わせ、屋根は黒い陶器の様な板を何十枚も並べていた。入り口に掛けられた縄から白い紙で作られた飾りが垂れ下がり、中は木の板を敷き詰めた床だった。 「こいつぁ……神社じゃあないか。どうしてこんなところに……」 「ジンジャ?」 思わずジョセフが漏らした単語は、この場にいる誰も聞いた事のない言葉だった。ルイズが訝しげに問いかけるのにもジョセフが振り向かないので、とりあえずチョップを入れた。 「おぅっ、何すんじゃよルイズ!」 「ご主人様を無視するなんていい度胸ね! どうしたのよ一体、こんな妙ちくりんな建物がどうかしたの?」 「ああ……」 不機嫌さを隠さない主人の耳元に自分の唇を持っていくと、そっと耳打ちした。 「……わしの世界にある国の建物に、凄く似てるんじゃよ」 その言葉に目を見開くと、互いの帽子で自分達の顔を隠すように頭を寄せ、声を潜めた。 「……あんたの世界の?」 「ああ……似てるなんてモンじゃない。そのまんまだ」 内緒話を続ける二人を尻目に、キュルケ達は寺院の中へ入っていった。 「じゃあもしかして、『竜の羽衣』って……」 「わしの世界から来た何か、という可能性は非常に強い。それも多分……」 「おーい、二人ともまだ来ないのかい?」 まだ建物に入ろうともしない二人を、ギーシュが呼んだ。 「……とりあえず、見てみるわ。話はそこからよ」 「そうだな」 どちらからともなく頷き合うと、寺院へと足を踏み入れた。 先に入った五人のメイジ達の背の向こうに見えた『竜の羽衣』に、訝しげな顔を隠さないルイズの横で、ジョセフは驚きに目を見開いた。 気のない様子で眺めているキュルケとギーシュ、身を乗り出しがちに見ているのはタバサ、ウェールズ。そしてガブリ寄りで『竜の羽衣』に食いついているのはコルベールだった。道案内をしてきたシエスタは、貴族達から一歩引いたところでそっと控えている。 キュルケとギーシュは一目見ただけで『竜の羽衣』をインチキな代物と判断していた。 「……興味深い」 「ああ……この目で見るまでは信じていなかったが。これは空を飛べる代物と考えていいようだ。だがその為に成立させなければならない条件がかなり大掛かりになるようだが……?」 風のトライアングルメイジであるタバサとウェールズは、『竜の羽衣』が空を飛ぶ為にどういう条件が組み合わせられればよいか、という思考を巡らせていた。 その結果、二人は『これは空を飛べる』という答えには辿り着いた。だがその為に必要とする膨大な風をどう用意するか、という点に辿り着くことは出来ない。 二人が想定するだけの風を発生させるには風のスクウェアメイジが最低二人は必要だが、それなら自分の力で飛べばいいだけだ、という結論に達していた。 コルベールは持ち前の知的好奇心を著しく刺激され、思わず早足になって『竜の羽衣』の周囲を動き回っていた。これを形作るフォルムはハルケギニアの常識からは完全にかけ離れた代物だというのに、そのどれもが研究者としての本能を甚くときめかせた。 風を大きく受けられる頑丈な翼、前方に取り付けられた巨大な風車、奇妙な材質で作られた精巧な円の車輪。『竜の羽衣』を形成するパーツの一つ一つが高度な技術で作られていることに、息を呑む思いで見つめていた。 そんなメイジ達を視界に入れることすら忘れたジョセフは、思わず声を張り上げた。 「ゼロ戦か!?」 濃緑の塗装を施されたその機体は、まるでこの前建造されたばかりのような姿を保っていた。『固定化』の魔法の効果が申し分なく働いていたためである。 思わず駆け出したジョセフはメイジ達を押し退ける勢いで『竜の羽衣』……ゼロ戦に触れた。ゼロ戦を兵器と認識したガンダールヴのルーンが手袋の中で光り、目前にある機体の情報が、ジョセフの頭脳へ一気に押し寄せてきた。 「……は、ははははは……」 見えた答えに、ジョセフは込み上げてくる笑いを抑えようとはしない。 ジョセフ以外の面々は、突然の奇行に戸惑うしか出来なかった。 「ど……どうしたんだねジョジョ。こんな、カヌーに翼をつけただけのインチキな玩具がどうしたというんだ?」 ゼロ戦とジョセフに忙しなく視線を往復させながら、ギーシュが恐る恐るジョセフに問いかける。 「そうよダーリン、こんなものじゃ空を飛べないわ。翼だって羽ばたくようには出来ていないし……こんな小型のドラゴンほどもあるモノが空に浮かぶなんて有り得ないじゃない」 キュルケも戸惑いつつギーシュの言葉を続ける。彼女もまた、これが空を飛ぶだなんて頭から信じていなかった。 「ちょっとジョセフ、これがどうしたのよ!? 笑ってないで説明しなさいよ!」 ルイズもまたそれは同じようで、笑い続けるばかりのジョセフのシャツの裾を掴んでぐいぐいと揺らして問い詰める。 「はははははっ……まさかとは思ったが、こんな所でこんな代物に出くわすとはなッ……。長生きはしてみるモンじゃあないかッ……」 若い頃の夢はパイロットだったジョセフにとって、第二次世界大戦の名機の一つであるゼロ戦を知らないという事は有り得ない。 しかもそれが博物館に展示されているレプリカではなく、現役の姿そのままの完動品として目の前に現れた。飛行機マニア垂涎の代物を目前にし、ジョセフが歓喜してしまうのはむしろ自然なことであった。 普段の飄々とした彼とは大きくかけ離れた振る舞いに戸惑うメイジ達にも構わず、ジョセフは喜びを隠そうともせず大きく腕を広げて一同に振り返った。 「こいつは飛行機だ! しかもこいつ、動く! 動くぞッ! コイツに燃料さえ入れてやればナンボでも飛ぶんじゃぞッ!」 突然そんな事を言われても、ジョセフ以外にはその言葉の真偽を判断する術がない。だがコルベールはいち早く、メイジとしての理性ではなく、研究者としての感情に判断を委ねた。 「これが飛ぶのか! 本当に飛ぶんだね、ミスタ・ジョースター!」 「ああ! コイツの中にあるエンジンがプロペラを回す! プロペラが回ったらすげェ風が吹くから、その風を受けて飛んでくれるッ!」 「なんと! こんな巨大なモノを飛ばせるだけのエンジンだというのかね!? では燃料を早く用意しなければなるまい、一体どんな燃料が必要なんだね、万難辛苦排してでもこの炎蛇のコルベールが用意させてもらおう!」 「その燃料なんじゃが、もしかしたらセンセでも知らんようなモノかもしれん。ちょっと待ってくれよ……」 コックを開けたタンクの底には、ガソリンがほんの少し残っていた。固定化の魔法はタンクに少しだけ残っていたガソリンにも影響を及ぼしており、四十年以上の時間を経ても化学変化していなかったのである。 コルベールはタンクの底を指でなぞり、指先に付いたガソリンを嗅いだ。 「ふむ、嗅いだ事のない臭いだな。熱を加えなくてもこれほど臭いを感じるとは、随分と気化し易い性質のようだ。これを爆発燃焼させて動くとすれば……私の作ったエンジンなど比べ物にならない大きな力が出るか。なるほど、それなら『竜の羽衣』が飛んでも不思議ではない」 「コイツは石油を精製して作るんだが、ハルケギニアって石油ってあるんか?」 「石油?」 「ええとだな、地下から湧いてきて燃える黒い水、って代物に覚えは?」 若者をほったらかしてジジイとハゲだけが盛り上がる最中聞こえた言葉に、タバサがぼそりと呟いた。 「それなら聞いた事がある。ゲルマニアの北部で『燃える水』をランプの灯りとして使っていると聞いた」 両手を固く握り締めて、両腕を肘ごと後ろへ勢い良く振ってガッツポーズをするジョセフ。 「よしッ! ソイツを精製したらガソリンが出来る!」 「本当かね! ならばそのガソリンを用意すればこれが飛んでいる所を見れるというわけか……! いいだろう、それでどのくらいのガソリンが必要なのかね!?」 「コイツのタンクの容量から言うと……ええと、ワイン樽で五本はいるな」 「なんと! そんなに必要なのか! だが取り掛かってみる価値はある、実に面白い!」 そこからのジョセフとコルベールの行動は迅速だった。 まず『竜の羽衣』を譲り受ける為、シエスタの生家に向かう。 今は飛ばないとは言え、タルブ村の観光資源であり、飛んでいる所を目の当たりにした村の老人やらが手を合わせたりしているということだった。 が、シエスタがジョセフを「学院で世話になっていてよくしてくれている人」と紹介したところ、現在の持ち主であるシエスタの父親は二つ返事で了承したのだった。 続けて2トン弱ある機体を運搬する為に、竜騎士隊とドラゴンをギーシュの父のコネを使って用意した。運搬料として発生したかなりの金額は、コルベールが全額受け持ってくれた。 さて蚊帳の外にほったらかされた若者達はジジイとハゲが駆けずり回っている間、二人をほっといてワインの買い付けに向かっていた。 ひとまず竜の羽衣を譲り受ける算段がついたジョセフは、シエスタの案内で祖父の墓に参ることにした。自分と同じ地球からやってきた先輩に手を合わせよう、という殊勝な気持ちになるのは、ジョセフと言えどもおかしいことではない。 祖父の墓はジョセフの予想通り、日本由来の縦長の墓石であり、そこに刻まれていた墓碑銘は読めなかったものの、漢字とカタカナ混じりの字は日本語であることは明らかだった。 「おじいちゃんが、死ぬ前に自分で作った墓石なんです。異国の文字で書いてあるので、誰も銘が読めなくて……何と書いてあるんでしょうね」 「ふーむ。日本語は話せるが読めんのじゃよなぁ……。ニ、とルだけは読めるな……」 マンガ収集が趣味のジョセフだが、良質なマンガが多く出ている日本のマンガは英訳されるのを待っている。最新のマンガをいち早く読めるメリットと、「悪魔の言語」と称されるほど難解な言語を覚えるデメリットを比べたら、デメリットの方が圧倒的に大きかったのだ。 「ニホン語、ですか?」 「ああ、わしの娘が嫁いだ国で使われてる言葉だ。お前のお爺さんはそっちから飛んできて、こっちに来たと言うワケだな。その黒い髪と目は、お爺さん似なんじゃろ?」 「あ、はい。ご覧になってもらった通り、家族みんな目も髪も黒くて。遠くから見たらすぐに家族の誰かだって判るんですよ」 うふふ、とたおやかに微笑むシエスタが、遺品を包んだ布を解く。そこから現れたのは古ぼけたゴーグルだった。これもまた固定化の魔法を受けていて、少し使い古してはいるが十分に実用に耐えうる状態を保っていた。 「おじいちゃんの形見はこれだけなんです。十年前に亡くなったんですけど、日記も何も残さなかったみたいで……遺言とこのゴーグルだけ残したんです」 「遺言?」 「はい、あの墓石の銘を読める人が来たらその人に『竜の羽衣』を渡してくれって。銘は読めなくても、またあの『竜の羽衣』が飛べるかもしれないなら、お渡ししてもいいって父も言ってましたし」 「ふーん……あと十年ほど頑張って欲しかったがなァ。そしたら、せめて世間話も出来たかもしれんが……けどワシ、イギリス系アメリカ人じゃしなー。鬼畜米英とか言われてケンカになっとったかもしらんな」 またよく判らない単語が聞こえるのに、曖昧な笑みを浮かべるシエスタを見たジョセフは、(やっぱり日本人ってどこでもこういう感じになるんかなー)と内心感心していた。 「それで……お渡し出来る人には、こう告げてくれと言ったんです。なんとしてでも『竜の羽衣』を陛下にお返しして欲しい、って。どこの国の陛下なのか判らなかったんですけど……ジョセフさんの娘さんのいる国の陛下なんですね」 「ああ、今もその国の陛下は生きとるしな。じゃが早いトコ行かんと、ちょっと危ないかもしらんなァー」 ジョースター一行がDIO討伐の為日本を離れたのは、1988年の末の事だった。時折見るTVニュースに天皇陛下の病状が出ていたが、果たして年も明けて数ヶ月経った今、まだ今の天皇は生きているのか、それとも皇太子が皇位を継いでいるのか。 「とりあえず、地球とハルケギニアの時間の流れ方はそんなにズレちゃおらんと考えていいようだな……シエスタ、このゴーグルも貰っていいか」 「あ、はい!」 受け取ったゴーグルを試しに着けてみる。 全体的に小柄な日本人サイズのゴーグルは、欧米人でも大柄な部類に入るジョセフの頭には少々小さかったものの、何とか問題なく装着することが出来た。 「似合うか?」 「はい、よく似合ってますよ」 「よし、それなら問題ナシッ」 それからジョセフはシエスタに案内され、村の周辺を歩き回った。 ブドウ畑やワイナリーを見て回った後、シエスタが「私の一番のお気に入りなんです」と、嬉しそうな足取りでジョセフを連れて行ったのは、村の側にある草原だった。 なだらかで平坦で、とても広大な草原だった。確かに飛行機を着陸させるには申し分のない場所だ。青々とした草の上をそよ風が渡れば、心地よい葉ずれの音を響かせて草が波打つ様は壮観と言っていい。シエスタの一番のお気に入りというのも、頷ける光景だった。 「のどかでいいトコじゃなー……」 「はい、私の自慢の故郷です。ブドウもワインもこの草原も……」 それからしばし、二人は無言で草原を見つめていた。 (……スージーQにホリィに承太郎、ポルナレフ……みんな、元気だろうか) 普段は望郷の念は億尾にも出さないジョセフだが、それでもこうして地球に残してきた家族のことを忘れることはない。 今すぐ帰れなくとも、せめて自分は元気にやっていると一言伝えられればもう少し安心は出来るのだろうが、それすら難しいのだろう。 シエスタの祖父は太平洋戦争の最中、何らかの原因でハルケギニアに来てしまい――それから三十年、この地で生きて、没した。 では自分は、あと何年ハルケギニアで生きていられるのだろうか。今年で69歳の自分は、果たしてあと何年、まともに動くことが出来るのだろう。 基本楽観主義なジョセフではあるが、現実を見ないこととはイコールではない。老いると言う事がどう言う事か、自分の身や周囲の人間を見ているから十分に理解している。出会った時はチビのスリだったスモーキーも、今では立派にジョージア市長やってるジジイだ。 「なあシエスタ。もし、わしが今よりもっとジイサンになって、使い魔がロクに出来んようになったら……この村に住むのも悪くないかもなあ」 普段のジョセフには似合わない類の言葉を聞いてしまったシエスタは、思わず目を丸くしたのだが。 「三十年後に備えて、どっか良さそうなトコに家を用意しとくのもいいかもしれんな」 ニヤリと笑って言った言葉に、シエスタはさっき丸くした目を、困ったように細めた。 「あと三十年現役でいるおつもりなら、もうしばらくは大丈夫ですよ」 * その日の夕方。 一行はシエスタの実家に泊まることになった。 上物のワインを樽単位で買っていく貴族達が泊まるというので、村長やワイナリーの主人までもが挨拶に来たりする騒ぎであった。 シエスタを頭に八人の兄弟姉妹と両親が住む家はそれなりに広く、板敷きの床の上に布団を敷けばひとまずベッドに貴族全員を寝かせることは可能である。 固さはどうあれベッドで休めるのは有難い。それぞれ宛がわれた部屋で腰を落ち着けていると、夕食の準備が整うにはまだ少し早い頃合、ルイズとジョセフがいる部屋のドアがノックされた。 ルイズはベッドに寝転んだまま、横に寝転がっているジョセフの背を指でつついて、無言で(誰か来たわよ)と横着を決め込む。 「どちらさんかな?」 ジョセフも主人に倣って横着して、ベッドから起き上がらずに首だけドアに向ける。 「すまないが、二人とも話したいことがあるんだ。少し来てもらいたいんだが」 ドアの向こうからコルベールの声が聞こえてきた。 『竜の羽衣』を前にしていた時のはしゃぎっぷりとは異なる静かな口調の言葉に、ジョセフとルイズは枕元に置いていた帽子を被りつつ、ベッドから起き上がる。 「判りました、ミスタ・コルベール」 ベッドから降りたルイズとジョセフは扉を開け、コルベールに導かれるまま家を後にする。 三人は特に口を開かないまま、村の道を歩いていく。普段と違うコルベールの様子からして、あまり人気のある場所でしたくない類の話があるということは察していた。 やがてコルベールの足が止まったのは、昼間にジョセフがシエスタと来た草原に着いた頃だった。西の稜線に差し掛かった夕日に照らし出された草原は、濃い蜜柑色で彩られて昼間とは異なる雰囲気を醸し出す。 この美しさに感嘆の声を上げたのはルイズだけで、ルイズを挟む形で立つコルベールとジョセフは草原を見つめたまま無言を貫いていた。 「……で、センセ。話ってのはなんですかな?」 夕日の色が僅かに変わった頃、ジョセフがコルベールを見やる。 言葉を促されても、まだコルベールは躊躇うように視線を草原に向けていたが、やがて意を決すると二人に向き直った。 「――何故私が『竜の羽衣』の伝説に行き当たったか。まずそこから話させてもらいたいが……いいかね?」 「晩飯に間に合わせてくれれば文句はありませんわい」 「……そうか。では出来る限り、努力するとしよう」 一つ息を吐くと、コルベールはゆっくりと話し始めた。 「私は、ミスタ・ジョースターの言う異世界に関係のありそうな書物を探した。その中にあったのが、『竜の羽衣』の伝説だ。その真偽を確かめようと、このタルブ村にやってきて今に至る……ここまではいいね?」 訝しげな視線で自分を見ている二人が特に言葉を挟まないのを確認すると、コルベールは言葉を続ける。 「『竜の羽衣』はタルブ村に降り立ったのとは別にもう一つあった。そしてそのもう一つは空を飛んだまま、日蝕の作り出した輪の中に飛び去ったと記されていた」 「なんじゃと!? もしかして、そのもう一つの『竜の羽衣』は……」 「ああ。異世界から何らかの要因によってこちらに二つの『竜の羽衣』がやってきたが、片方は通ってきた道を戻って帰る事が出来たのだろう。だがもう一つ、こちらに降りてしまったのがタルブ村の『竜の羽衣』という事だな。 私も直接この目で見て、ミスタ・ジョースターの話を聞くまでは信じ切れていなかったが、どうやらそう考えることに疑いはないと見ていい」 まだ話の全容が理解できていなかったルイズだが、ここまで来ればコルベールが何を言いたいのかを察することは出来る。鳶色の両眼を大きく開けて、教師を見上げた。 「――もしかして、ミスタ・コルベール! 『竜の羽衣』があれば……ジョセフは、元の世界に帰る事が出来るんですか!?」 驚きの声を上げるルイズの視線から逃げるように、コルベールは顔を背けた。 「……ああ。私の仮説が正しければ……きっと日蝕が異世界とこちらの世界を繋ぐ扉の役割を果たしているのだろう。『竜の羽衣』がもう一度空を飛べれば、あるいは……」 唐突にコルベールが言葉を途切れさせた。 これから先、言わなければならない言葉を発するのは躊躇われた。 だが言わなければならない。 二人に言わず、何も知らない振りをしてやり過ごせばいいのかもしれない。そうするのが一番ベストだとは判っている。だが、それでも。 見つけてしまった真実を告げなければ、この二人に与えられた選択肢を一人で握り潰すことになってしまう。 知らず乾いていた喉を濡らすべく唾を飲み込むと、改めて二人を見つめた。 「……だが、幾つか重大な問題がある。ミス・ヴァリエール――使い魔の原則は知っているだろう?」 不意に告げられた言葉の意味を理解してしまったルイズは、言うべき言葉を見失った。 呆然と立つルイズに悲しげな目を向けながらも、教師は意を決して真実を続けた。 「一人のメイジが召喚できる使い魔は一体だけ。その契約が破棄されるのは、メイジか使い魔のどちらかが死に至った時のみ。これに一切の例外はない」 「ちょ、ちょっと待ってくれッ! それじゃあッ……」 ジョセフも、コルベールが何を言わんとしているか理解できた。 コルベールは何かを言おうとしたジョセフへ手を翳して制止すると、静かに言葉を紡ぐ。 「もしミスタ・ジョースターが元の世界に帰れば、ミス・ヴァリエールはミスタ・ジョースターが死ぬまで新たな使い魔を召喚することが出来ない。いや、もしかしたら召喚のゲートが開くかもしれない。 しかしその場合でも、ゲートが開かれるのはミスタ・ジョースターの前だろう。 そして、私が君達に言わなければならない事がもう一つ、ある」 突如残酷な選択肢を突き付けられた二人にとどめを差すような心持ちで、コルベールは静かに言葉を発した。 「私が先程計算したところ……次の日蝕は五日後の正午。その次の日蝕は……十年後、なんだ」 To Be Contined → 戻る
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日蝕まで残り三日の昼下がり。 シエスタやマルトー、そしてクラスメイト達に別れの挨拶を告げて回ったジョセフは、授業を自主休講したギーシュやキュルケ達と共にウェールズの居室でチェスやティータイムを楽しみ、世間話に興じていた。 内容としてはさして意味のあるものではない。ジョセフがルイズに召喚されてからの様々な思い出話や、ジョセフの来た世界、地球の話やハルケギニアの話。 ギーシュやキュルケはそんな他愛ない話を絶え間なく続けることで、不意に訪れるしんみりした沈黙を出来る限り排除しようとしていた。 「いやそれにしてもジョジョ、聞けば聞くほど君の話は荒唐無稽だな。いくら大国とは言え、一つの国に何億人もいたり、しかもそれだけの国を統べる王を入れ札で決めるだなんて考えられない。 そんなにころころ王が代わっていたら、代わる度に大事になるんじゃあないか?」 「うむ、こっちほど王……というか、大統領や首相の権力ってのは大きくないがそれなりにデカいし変わるとなりゃ大事だからな。上の頭がすげ変わる間も国の運営が成り立つようにしとるんじゃ。わしの住んどる国なんか四年ごとにやる入れ札はマジお祭り騒ぎだ」 「へええ! 聞けば聞くほどとんでもない世界だなあ、君の世界は!」 「こっちじゃあまーだやらん方がいいな。やるとしたら、平民の半分以上が読み書きできるくらいになって、選ぶ人間の良し悪しを判断できるよーになったらやっていいかもしらんが……まぁ、無理にやらんでもいいんじゃね? 六千年も同じシステムが続いてるならそれでもいいと思うしな」 好奇心と口の回るギーシュが聞き役になり、ジョセフにインタビューしている今の話題は「それぞれの世界の政治形態について」だった。 ジョセフはこれと言った政治思想がある訳でもない。強いて言えば資本主義支持者で、世界有数の大富豪なスピードワゴン財団くらい稼がなくていいから、食うに困らない生活が維持できればそれでいいと思っているくらいである。 具体的に言えば屋敷の使用人達に払う給料が滞らず、夏や冬のバカンスに専用ジェットで向かう家族旅行や社用旅行で金に糸目をつけず遊び呆けたり……そんなささやかなものでいいと考えていた。 だから魔法を使える貴族が王権の元に政治を司るハルケギニアの治世自体に文句をつける気はない。 「それで上手く回ってるなら別に口出す必要もない。わしゃアカでもなんでもないし」という理由もあるし、この世界に永住する訳でもない通りすがりの異邦人でしかないのも、大きなウェイトを占めている。 ましてや三日後には元の世界に帰るのだから、自分から進んでやりたくもない瑣事に関わる必要などこれっぽっちもないのだった。 そんなことをしている暇があるなら、キュルケにケーキをあーんしてもらったり、タバサにチェスでコテンパンにされている方がよっぽど有意義というものである。 さて、タバサに三戦三惨敗という華々しい戦歴を打ち立て、実力の差を十分に自覚したところでジョセフは椅子から立ち上がりつつ、大きく伸びをした。 「んん……ちっと外の空気吸ってくる」 「行ってらっしゃい」 気ままに読書やお茶の時間を楽しんでいる友人達にひらりと手を振り部屋を出たジョセフは、小さく欠伸などしつつ風の塔から降りた。 これから日蝕までの間、別れの挨拶を告げる友人達のリストを頭に浮かべて芝生を歩き出したジョセフの名を大声で呼ぶ者がいた。 「おぉい、ミスタ・ジョースター! 出来た! 出来たぞ! 調合が出来た!」 茶色の液体が詰まったワインボトルを手に持ち、息せき切って走ってくるのはコルベールだった。 「マジか! もう出来たのか!」 「もうも何も、昼前には錬金出来たんだが学院中を探し回ってもミスタ・ジョースターが見つからなかったのだ。一体どこに行っていたんだね?」 不思議そうに尋ねるコルベールに、ジョセフはニカリと笑みを浮かべた。 「すまんな、ちょっと外に出とった。どれ、ちょっと確認させてくれ」 ワインボトルの栓を開け、飲み口から漂ってくる臭いを手で鼻元に仰ぎ寄せて嗅ぐ。 ゼロ戦の燃料タンクに残っていたそれと同じ刺激臭に、おお、と感嘆の声を上げた。 「やるなぁセンセ! まさかこんなに早く出来るとは正直思っとらんかった!」 「なに、原料と完成品の二つが揃っていたのでね。これが『燃える水』を手に入れてなかったらもう少し時間がかかったかもしれないが、これであの『ゼロ戦』は飛ぶという事だ!」 「うむ! で、ワイン樽五本分のガソリンは何日くらいで錬金出来る?」 「そうだな……私の精神力なら、他に魔法を使わなければ二日以内に五本は可能だ」 「グッド! じゃあ、樽一本くらい余分に作れるか? せっかくだから試験飛行しよう。わしが乗って帰ったらもう二度と乗れんからな、コルベールセンセには一度経験してもらいたい。『技術で作り出したモノで空を飛ぶ』という経験をな!」 ジョセフの提案に、コルベールの顔には見る見るうちに『誕生日にお前の欲しがっていた玩具を買ってあげる』と親に言われた子供のような笑みが広がった。 「そうだ忘れていた、ミスタ・ジョースターが地球に帰ってしまえば『ゼロ戦』に乗れる機会はなくなってしまうんだ! ならば明日の朝までに一本用意しておこう!」 今すぐにでも研究室に戻って錬金を再開すべく走り出そうとしたコルベールの手をつかんで留めた。 「待て待てセンセ、せっかくガソリンの試作品があるんだから作動実験もしてみよう。作っては見たが動きませんでしたじゃどーにもならんだろ」 「それもそうだな! では早速実験してみよう!」 二人でアウストリの広場に向かい、燃料コックにガソリンを注ぎ込む。 「よしよし。さてプロペラを動かさにゃならんなー……」 そう呟くと、ちら、と横で目を輝かせているコルベールを見た。 「まァいっか」 構わずに左手からハーミットパープルを発現させる。杖も詠唱もなく突然現れた紫の茨は、メイジであるコルベールの目には明らかな実像となって映っていた。 「ミ、ミスタ・ジョースター!? それは一体……」 当然、未知の現象を突然目撃することになったコルベールは驚きの声を上げた。 「どうせ三日後に帰るからコレもバラすことにしよう。これは『スタンド』、わしの住む世界では稀にこの能力を持つ人間や動物が現れることがある。これがわしのスタンド、ハーミットパープル。 わしのいた世界ではスタンドはスタンド使いにしか見えんかったが、こっちの世界ではメイジには例外なく見えるらしい。多分魔力とかそんなのが関係しとるんじゃろうが、まぁ今はそんなこたァどーだっていい」 眼鏡の奥の目を大きく見開いたままのコルベールからゼロ戦に視線を移すと、静電気が走るような破裂音を放ちながら、ハーミットパープルを機体に入り込ませていく。 「何をしてるんだミスタ・ジョースター! そんなことをしたら、『ゼロ戦』が……!?」 壊れる、と続くはずだった言葉は驚きと共に飲み込まれてしまった。茨が入り込んだように見えた箇所は穴の一つも開いておらず、まるで機体から茨の彫刻が生えているようにも見えた。 「な……なんだねこれは。『スタンド』……とか言ったか? 先住魔法……ではないのか」 持ち前の強い好奇心を発揮し、恐る恐るながらもまじまじとハーミットパープルの観察を開始するコルベール。 「これはわし自身の生命エネルギーが作り出す像でな。基本的に人それぞれの性格やらなんやらで持つ能力や姿形が変わる。つまり同じスタンドは存在しないと言ってもいいだろう。わしのハーミットパープルの能力は念写に念聴、そして機械操作。 プロペラを動かす為には中のクランクを動かさなきゃならんのだが、それを動かす道具がないんでハーミットパープルで代用する」 「あ、ああ」 いきなり理解を越えた単語が連ねられるが、それでもコルベールはおおよその意味は掴んでいた。 「さあセンセ、ちとコクピットは狭いんでな。上からわしが操作してるトコを見てくれ」 コクピットの風防から中に入ったジョセフの頭上に、レビテーションの魔法をかけたコルベールが浮き上がった。 左手が欠損している為にパイロットにはなれなかったものの、セスナを始めとしたプロペラ機の操縦は普通に出来るジョセフである。それに加えてゼロ戦を兵器と認識したガンダールヴの能力が、初めて乗るゼロ戦の起動手順を逐一頭の中に浮かばせる。 一つ一つの手順の意味をコルベールに教え、コルベールはジョセフから聞いた言葉を興味深げに聞く。 ゆるゆると回っていたプロペラは始動したエンジンの力を借りて大きく回り、スクウェアメイジが起こす風にも匹敵するだけの風力を発生させた。 大日本帝国の名機であるゼロ戦は現役である事を確認したのを満足げに見届けたジョセフは、しばらくエンジンを動かした後で点火スイッチを切ると、もう今にも歓喜を爆発させそうなコルベールに向かって満面の笑みとウィンクと、当然親指も立てて見せた。 コルベールも、立てられた親指が何を示すか一瞬考えた後、ちょっとぎこちない手付きで親指を立て返し、嬉しそうな笑顔を返した。 「やったぞセンセ、バッチリじゃッ! お次は飛行実験だ、ちぃとギュウギュウ詰めだがセンセに空の旅をプレゼントしようッ!」 「おおおお! すごい、すごいぞミスタ・ジョースター! この炎蛇のコルベール、今まで生きてきた人生の中でこんなに胸を高鳴らせたことは無いッ! 今のこの感情の昂ぶりなら、一晩で樽五本分のガソリンすら錬金出来てしまいそうだッ!」 「まあまあセンセ、それで精神力を使い切ってはつまらんだろ。今夜は程々にガソリンを錬金して、ベストコンディションで飛行実験に挑もうじゃないか」 「ああ、そうだな! では私は早速錬金に取り掛かる、それではまた明日会おう!」 「おー、じゃあ朝メシ食った後にここ集合なー」 居ても立ってもいられないとばかりに走り出したコルベールの背に手をひらひらと振ってから、やっとジョセフは茜色に変わり行く空に気付いた。 「いかんいかん、もうこんな時間か。あいつらも飛行実験誘ってみようか」 今日の晩メシなんじゃろなァ~、と即席の節をつけながら友人達を待たせている部屋へと戻っていった。 そして次の日の朝。 ゼロ戦が鎮座するアウストリの広場には、ルイズとウェールズを除く宝探しメンバー、そしてコルベールが集まっていた。 魔法で浮かせた樽からガソリンをタンクに移し変え終わったのを確認してから、ジョセフはもったいぶった動作で友人達に向き直り、帽子を取って恭しく一礼した。 「やあやあ、お集まりの善男善女の皆様方。本日はお日柄も良く、これよりゼロ戦の飛行実験を粛々と執り行いたいと存じます」 雲一つ無い、という訳でもないが特に大きな雲があるわけでもない。十分に晴れた青い空がトリステインの上にあった。 「確かに今日はいい天気だね。で、このぜろせん、とやらは本当に飛ぶのかね? 僕は今でもコレが飛ぶだなんて少しも信じられないんだが。なあヴェルダンデ」 「タルブの村のおじいさんおばあさんは、何人かこのぜろせん、が飛んでいるところを見たって言ってましたけど……」 この期に及んで何回言ったか判らない疑問を口にするギーシュに、シエスタがおずおずと意見を述べた。 「まあまあ、一見は百聞に如かずって言うじゃろ。なんなら賭けてもいいぞ、また金貨二百枚と一年執事の権利を賭けてな」 ニシシ、と笑うジョセフに、ギーシュの顔は渋すぎる茶を無理矢理飲まさされたみたいになった。 「君はもう故郷に帰るんだろ? なんてことだ、賭け金も渡せないうちに帰られるだなんてグラモン家の四男としてこれほど屈辱的なことはないというのに」 「そうそう、忘れてたけど私も二百エキュー貰えるんだったわね。なんならダーリンの分も合わせて私が預かっておこうかしら」 思わず口を滑らせた事に気づいた時にはもう遅い。猫の様なニンマリとした笑みを浮かべるキュルケに、ギーシュはしかめていた顔を更に大きくしかめた。 「……ジョジョ本人に手ずから渡すことにするよ、僕は」 「あらそれは残念」 そもそもゼロ戦が飛ぶということ自体を信じていないギーシュとキュルケは、ゼロ戦にかかりきりのジョセフとコルベールをさておいてそんな軽口で盛り上がっていた。 「さて、んじゃいっちょ行くとするか。センセ、何とか詰めてくれ」 腰に下げていたデルフリンガーを足元の隙間に入れ、コルベールが乗れるスペースを何とか確保する。 そもそもゼロ戦は一人乗りである。座席背部にあった通信機を取り除いたことで二人が乗れないことはない、くらいの広さは辛うじて確保できていたが、そもそも身長195cm、体重97kgもあるジョセフが乗ればそれだけでコクピットのスペースを大きく取ってしまっていた。 コルベールも細いとは言え立派な成人男性の体格を持っている。乗ることが不可能ではないのだが、ぎゅうぎゅう詰めになるのは致し方のないことだった。 「ああ、いや確かに狭いが何とか……というか、ミスタ・ジョースターがこんなに大柄なのが問題ではないのかね?」 「そもそもコレ一人乗りだもんよ。メッサーシュミットなら三人乗れるんじゃが贅沢は言っとれんだろ」 コクピットに乗り込むだけでいい年したジジイとハゲ上がった大人が言い争いしながらも、何とか乗り込むことは出来た。 「よし、んじゃ行くとするか」 クラッチにハーミットパープルを這わせてエンジンを始動させると、プロペラが音を立てて回り始める。計器が示す数値も異常が無いことを教えてくれる。 ブレーキを放すと、ゼロ戦がゆっくりと動き出す。おおよそ目星をつけていた離陸点に辿り着くが、ガンダールヴのルーンとジョセフ本人の経験がゼロ戦が飛び立てる滑空距離に少々足らない、と見えてしまった。 アウストリの広場が狭いわけではないが、それでも飛行機一機が飛び立つ為に必要な距離は並大抵のものではないと言う事だった。 ジョセフは閉じた片目の上に手を翳し、学院の敷地を取り囲む高い塀に舌打ちした。あれがもう少し低ければこの距離でも十分離陸は出来ただろう。 「ううむ。ちと距離が足らんな……あそこの高い壁を吹き飛ばせば何とか行けるかもしらんが」 しょっぱなから物騒な提案に思考が進んだジョセフをたしなめたのは、足元に転がっているデルフリンガーだった。 「相棒、そんな短絡的な方法取んなくても外にいる貴族の娘っ子達に風を起こしてもらえればいけるぜ」 「ああ、それなら行けるか」 「あのちまいのは風のトライアングルだろ? なら大丈夫だ」 風防から腕を出してハーミットパープルをタバサに伸ばす。骨伝導で「広場のあっこらへんに立って思い切り向かい風を吹かせてくれ」と頼むと、タバサはこくりと頷いて指定された場所まで歩いていった。 さして時間を掛からず轟風が巻き起こったのを見届けると、シエスタから受け取ったゴーグルを身に付ける。 「おっしゃ、行くぞセンセ」 「ああ……よろしく頼む!」 踏み込んでいたブレーキペダルから足を離し、スロットルレバーを開く。 加速するエネルギーを解放されたゼロ戦は勢い良く加速を開始する。 操縦桿を軽く前方に押し、尾輪を地面から離れさせ滑走に入る。 段々と壁が近づいてくる中、十分にスピードが乗ったのを確認すると操縦桿を引き、タバサの起こした風に機体を乗せた。 ゼロ戦が浮き上がり、大きなGがコクピット内の二人に圧し掛かる。 そして脚を収納したゼロ戦は魔法学院の壁を飛び越え、更に上昇を続けていく。 「おおお、飛んでいる! 飛んでいるぞ! こんなに早く!」 風防の外で猛スピードで流れていく景色を見、興奮を隠さず叫んだ。 「おい俺にも見せろよ相棒!」 鞘口をカタカタ鳴らして催促するデルフリンガーをハーミットパープルで引き上げれば、デルフリンガーもまた金具をけたたましく鳴らして騒ぎ出した。 「うわー! すげえ! すげえ! なんだこれ、フネとか竜とか比べ物になんねーぞ!」 「そりゃそうよ、こいつぁ最高速度が500km以上出る。ハルケギニアでそんだけの速度を出せる魔法や生物なんてそうはないじゃろ?」 狭いコクピットの中、自慢げに言うジョセフの言葉も、コルベールとデルフリンガーには届いていなかった。 矢のように過ぎる雲の流れと外の景色に釘付けになっていたからだ。 これから同乗者の気が済むまで遊覧飛行したり、雲を突き抜けた上空まで一気に飛んでやりたくもあったが、如何せん肝心要の燃料がタンクの20%しかない。 安全を考慮し、比較的低空飛行で、且つ学院の周辺を飛び回るだけしか出来なかったが、それでもコルベールやデルフリンガーには十分過ぎる驚きと興奮を与えていた。 それは無論、地上で見守っていたギーシュ達や、突然聞こえてきた爆音に何事かと教室の窓から顔を出した学院の生徒や教師達、地面から見上げる使用人達、そして塔の窓から一部始終を見守っていたウェールズも例外ではない。 「ほらほら見てくださいミス・ツェルプストー、ミスタ・グラモン! 飛んでます、竜の羽衣が飛んでますよ!」 お伽噺だった『竜の羽衣』が本当に空を飛んでいるのを見ることが出来たシエスタのはしゃぎ様にも、キュルケもギーシュも構うことが出来なかった。 「……まるで夢でも見ているようだ。まさか、あんなカヌーみたいなオモチャが、あんなに早く飛ぶだなんて……」 「……本当に。何から何まで私達の常識ってものが通用しない世界なのね、ダーリンの世界って」 学院にいる大勢の人間の中で、事情が飲み込めている者はほとんどいない。それでも、ハルケギニアの空を翔けるゼロ戦に視線を奪われていた。 それから二十分後、再びアウストリの広場にゼロ戦が着陸し、そこからジョセフとコルベールが降りてきたのが確認された後、物見高い生徒達が教師の制止を振り切って教室の窓からフライで広場に殺到してくる。 ルイズに召喚されてからこの方、学院の注目を一手に集めてきたジョセフである。 怒涛のように押しかけてくる野次馬達を丁重にあしらい、無遠慮にゼロ戦を触ろうとする不貞な連中にはトライアングルの三人と使い魔が睨みを効かせていた。 今日も今日とて注目を一手に集めるジョセフを羨ましげに見ていたギーシュは、自分を慰めるように鼻先を摺り寄せてくるヴェルダンデにしかと抱き付いていた。 「ああヴェルダンデ、僕の愛くるしいヴェルダンデ、傷心の僕を癒してくれるのは君だけだ」 もぐもぐ、と喉を鳴らして目を細めるヴェルダンデは、しょうがないなあと言いたげなつぶらな瞳で主人を見つめていたのだった。 ちょうどその頃、トリステイン王城のルイズは客間のベッドで頭から毛布を被っていた。 眠っている訳ではない。目ならとっくに覚めている。 しかし、ベッドから起き上がる気分にはなれなかったのだ。 使い魔とも別れて一人、今の自分が唯一頼れる友人であるアンリエッタの所へ転がり込んだはいいものの、今になってその行動が間違いだったことに気付いてしまった。 スタンド使いで様々な悪知恵が働くジョセフがいなければ、自分はただのゼロのルイズでしかない。何も出来ない、魔法も使えないゼロのルイズ。 しかも使い魔が帰還するのを素直に喜んでやれる訳でもなく、さよならも言わずに帰れと置手紙を残しただけ。使い魔を手放す辛さに耐えかねたとは言え、そんな無責任な別れは許されるはずが無い。 自分の都合で呼び出した使い魔を帰すのに、呼び出した張本人はこうして迎えの来ないベッドの上で毛布を被って時が過ぎるのをただ待っているだけだなんて、果たして貴族の振る舞いとして恥ずかしくないのか。答えは既に出ている。 サイドテーブルに置いている帽子に視線が行き、そしてまたすぐ離された。 (……私、バカだわ。こんなことしてたってしょうがないじゃない……) 頭では判っている。ジョセフが帰るその時まで側にいて、謝るところは謝って、最後にさようならと直接言って、きちんと別れを告げるべきなのだと。 まだ日蝕まで二日ある。今から馬を飛ばして帰れば、十分に間に合う。学院に帰って、何もなかったような顔しててもジョセフはちょっとだけ苦笑して、あの大きな手で頭を撫でてくれるだろう。 正直になって、別れたくない帰したくないって駄々をこねられるだけこねて、思い切り泣いて叫んで――自分の中に溜まっているわだかまりを全部吐き出してぶつければいい。 本当はそうしなければならないのだ。 そんな事をしても、ジョセフの意思が変わらないのは判り切っている。 ただ、伝えなければならない。 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールにとって、ジョセフ・ジョースターがとても大切な存在だって言う事を。 人の言う事を先読みできる有り得ない洞察力と推理力を持つジョセフだって、あんな走り書きの文章一つで自分の中で渦巻いている色んな気持ちを察することなんて出来はしない。 ……いや、ハーミットパープルを使えば出来るかもしれないが、多分そんなことはしない。 だからちゃんと自分の口で、自分の気持ちを伝えなければならないのに。 今から部屋を飛び出して、馬に乗って帰るだけでいいのに。 しかし、ルイズはベッドから起き上がる事が出来なかった。 由緒正しいトリステイン名門のヴァリエール公爵家の三女たる者が、よりにもよって使い魔から逃げ出して毛布を被っているだけだなんて。 どんな顔をして帰ればいいのか、果たしてジョセフが本当に自分の思うような行動を取ってくれるのか。もし取ってくれなかったらどうしよう――。 そんな思いばかりが渦巻いて、立ち上がることが出来なかった。 誰にも頼ることが出来ず、誰にも悩みを打ち明けられず、一人きりになった今、16歳の少女に似つかわしい臆病さが前面に押し出されていた。 頭では取るべき行動が判っていても、心が動き出す決意を立てられない。 結局ルイズは、毛布で全身を包みきゅっと目を閉じて、眠気が来るのをひたすら待ってしまった。 日蝕の前日。 ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世と、トリステイン王女アンリエッタの結婚式を三日後に控えたその日の朝。 トリステイン王宮は、式が行われるゲルマニア首府のヴィンドボナへのアンリエッタの出発の準備を控え、上から下まで慌しく駆け巡っていた。 トリスタニアからヴィンドボナまでは、馬車で行けば半日弱しか掛からない。 しかし政略結婚と言えども、一国の皇帝と王女の婚礼の儀は建前上目出度い代物であり、祭儀として華々しく、且つ恭しく執り行われるべき代物である。 トリステイン首都のトリスタニアからヴィンドボナまでの旅路そのものが盛大なセレモニーであり、足早に急ぐような野暮な真似が出来るわけも無い。 半日弱の旅路をたっぷり時間をかけ、式前日の夕方にやっと到着することになっていた。 千の御伴を連れて立ち並ぶ行列の主賓たるアンリエッタ自身は、まるで病に冒されたような白い面持ちのまま、今朝本縫いが終わったばかりのウェディングドレスに身を包んでいた。 上質の絹で織られた美しいドレスを着ているというのに、ドレスの色を黒く染めれば葬儀の場に立っていてもなんら違和感を感じさせない佇まいであった。 出発の時間まで四半刻となった頃、王宮に突然の報がもたらされた。 国賓歓迎の為、ラ・ロシェール上空に停泊していた艦隊全滅の知らせ。 それと時を同じくし、神聖アルビオン共和国からの宣戦布告文が急使に拠り届けられた。 ラ・ロシェールに配備されていたトリステイン艦隊が突如不可侵条約を無視して親善艦隊に理由なく攻撃を開始し、一隻の戦艦が撃沈された為、アルビオン共和国政府は『自衛の為』『やむなく』トリステイン王国政府に対して宣戦を布告する旨が綴られていた。 トリステイン王宮はこの知らせに騒然となり、急遽将軍や大臣達を招集した。 しかし名誉ある貴族が雁首揃えてやることと言えば、豪奢な大会議室でただ言葉を踊らせるばかり。 やれこれは互いの誤解から発生した不幸な行き違いだ、アルビオン政府に対し真摯な対応をすべきだ。いや今すぐゲルマニアに急使を飛ばし、同盟に従い軍を差し向けるべきだ。 誰も椅子から腰を上げようともせず、下の者を動かそうともせず、ただひたすらに終着点が考えられていない互いの意見ばかりが飛び交い、なんら実のある結果に繋がる気配は見えなかった。 会議室の上座には、ウェディングドレスを纏ったアンリエッタが座っていた。きらめくような白絹に身を包んだ姿は衆目を引き付ける美しさを醸し出しているが、居並ぶ貴族達は誰一人としてその清楚な美しさに目を留めようとしない。まして意見を求めようともしない。 国を揺るがす一大事の中でも、うら若き王女はただ座っているだけ。 ただ顔を俯かせ、膝の上に置いて握り締めた手をじっと見つめているだけだった。 「――これは偶然の事故――」 「――今なら話し合えば誤解が解けるかも――」 「――この双方の誤解が生んだ遺憾なる交戦が全面戦争へと発展しないうちに――」 会議室での言葉は何一つアンリエッタに届かず、ただ頭の上を通り抜けていくだけ。 誰も王女に言葉を届けようともしないし、届ける意味を見出してもいなかった。 「急報です! アルビオン艦隊は降下して占領行動に移りました!」 伝書フクロウがもたらした書簡を手にした伝令が、息せき切って会議室に飛び込んできた。 「場所は何処だ!」 「ラ・ロシェールの近郊! タルブの草原のようです!」 伝令の言葉に、会議室はより重い空気を漂わせる。 自分達が考えている以上に、事態は重大であることに気付き始めざるを得なくなっていた。 昼を過ぎ、王宮の会議室には次々と報告が飛び込んでくる。 それらはどれも例外なく、頭を抱え耳を塞ぎたくなるような悪い知らせばかりであった。 タルブの領主が討ち死にし、偵察の竜騎士隊は一騎たりとも帰還せず、アルビオンからの返答もない。 敵意を持って杖を向けている敵に対し、未だに自分達がどうするのかも決めあぐねて会議室から出ようともしない貴族達。 それをただ黙って見ているアンリエッタの心の中では、これまで懸命に押し殺してきた感情がゆっくりと、しかし着実に膨れ上がっていたのだった。 (……これが。伝統あるトリステイン王室) 前王は子に恵まれなかった。生まれた子供はマリアンヌとの間に生まれた娘、アンリエッタ一人。側室も設けなかった為、トリステインの王位継承権を持つ者は大后マリアンヌと王女アンリエッタの二人だけ。 王が崩御した後、マリアンヌは王位継承権を放棄し、第一王位継承権を持つようになったアンリエッタは当時7歳。まだドットメイジですらない少女を王座に座らせる訳にも行かず、それから十年間トリステインの玉座は主を失ったまま現在に至っている。 しかし17歳となり、水のトライアングルメイジとなった彼女は、ハルケギニア統一の野望を持つアルビオンに対抗する同盟を結ぶ為の貢物として、四十過ぎの男との政略結婚を組まれていた。そこに彼女の意思は介在していない。アンリエッタの恋心を斟酌されるはずもない。 トリステイン王宮に仕えている貴族達は、王家に傅く素振りをしているだけ。国家存亡の危機に瀕している今、王女に意見を求めることも無く、ただ自分達だけで言葉を踊らせている。 自分に求められている役割は国を統治する王女ではなく、王宮を飾る美しい花。 花瓶に生けられた花に、王の言葉を求める者は居ない。 (そうね。私はずっと彼らから取り上げられてきたのだわ。トリステインという国を。王女としての誇りを) 今にも滅亡しようとするアルビオンで孤軍奮闘するウェールズから、昔送った恋文を返して貰う。そんな困難な任務を頼める相手が、幼い頃の遊び相手しかいなかった。 数少ない友人であるルイズにすら、最初は悲劇の主人公ぶった言葉でしか頼むことが出来なかった。王女としての立ち居振る舞いすら忘れていたのだ。 それを思い出させてくれたのは、皮肉にも平民であり、使い魔である老人、ジョセフ・ジョースターの言葉。 『王族の誇りを捨て、自らに仕える貴族にへつらった! そんな腐れた魂の何が王女か、何がルイズの友達かッ!』 あの夜、自分は王族としての誇りを取り戻したはずではなかったのか。 愛するウェールズは最後の時までアルビオン王家に連なる者として、誇り高く死のうとした。それを無理矢理トリステインに連れて帰らせたのは自分だ。 アンリエッタ・ド・トリステインは、こんな無様な姿を見せる為に愛する人の意思を捻じ曲げたのか? 今の自分は胸を張って、自分の愛する人達の前に顔を出せるだろうか? (……出せないわ。出せるはずが無い) 今の自分は、王女である資格がない。恋人である資格がない。友人である資格がない。 (――どうせ、このまま生き長らえても意にそぐわぬ婚姻をするだけ) 弾む鼓動を抑えるように、ゆっくりと、けれど大きく、息を吸う。 (これから数十年ずっと悔いて生きるのと、今日、死ぬことと。どれだけの違いがあるのかしら) 肺腑に行き渡らせた息を、静かに吐き出していく。 (せめて、トリステインの王女として誇れるように生きてみよう) 俯いていた顔をゆっくりと上げる。意味のない言葉が舞う貴族達を一瞥し、悠然と立ち上がる王女に、貴族達の目が向けられた。 「――トリステインの貴族は誰も彼も臆病者のようですわね」 アンリエッタの唇が紡いだ言葉は、意図せず氷柱のような冷たさと鋭さを纏っていた。 「姫殿下?」 「今正に国土を侵されていると言うのに、下らぬ言葉遊びに興じる様の見物はもう飽きました。それで? 貴方がたは一体どうするというのですか。そのお腰の杖は飾りなのですか? 貴方がたが今唱えなければならないのはつまらぬ御託ではなく、敵を討つ為の呪文のはずです」 呼吸も乱れず言葉に震えもない。言うべき言葉が勝手に流れているような錯覚さえ、アンリエッタは抱いていた。 「しかし、姫殿下……誤解から発生した小競り合いですぞ」 「誤解? 何をどうもって誤解と言うのですか? トリステイン王国の艦隊は祝砲に実弾を込める愚か者が揃っております、とお認めになるつもり? そんな馬鹿な話があってたまりますか。どれだけ下らない道化芝居とて、こんな無様な筋書きは存在しません」 「いや、我々は不可侵条約を結んでおったのです。事故以外に有り得ません」 「事故以外の可能性を貴方が認めたくないだけでしょう。今我々が直面している現実は、アルビオンがトリステインの国土を侵している。条約は紙より容易く破られたのです。どうせ守るつもりなどなかったのでしょう、あの卑怯者達の集まりは」 「しかし……」 なおも言い募ろうとする一人の将軍に一瞥をくれる。 ただのお飾りであるはずの王女は、臣下の勝手な発言を視線一つで遮った。 「貴方がたは御存知? アルビオンを簒奪したレコン・キスタは我がトリステイン王国のグリフォン隊隊長を裏切らせ、名誉ある戦いに赴こうとしたウェールズ皇太子を暗殺しようとしたのです」 突如発せられた言葉に、会議室がどよめく。 王宮近衛である魔法衛士隊隊長の裏切りは、緘口令が引かれていた。この緊急時に会議室に召集された貴族の中でも、その事実を知らない者は少なくなかった。 「アルビオン王家は滅亡寸前であったのに、彼らは最期の名誉ある死すら皇太子から奪おうとしたのです。いみじくもトリステインがレコン・キスタに加担したも等しい忌まわしい出来事を知ってなお、まだ愚にも付かぬ議論を続けるつもりですか」 静かに紡がれる王女の言葉に、貴族達は口を噤む。つい先程まで貴族達の声が溢れていた会議室には、王女の声だけが響いていた。 「この様な繰言を並べている間も、国が踏み荒らされ、民の血が流れているのです。王族や貴族は、この様な時こそ杖を掲げ戦いに出向く存在だったのではありませぬか? そんな最低限の義務すら果たせないのなら、杖など折ってしまいなさい!」 声を張り上げてテーブルを叩くアンリエッタ。 誰も言葉を発さず、杖に手を掛ける者もいない。 「黙って聞いていれば、如何に逃げ口上を美しく整えるかという事ばかり。確かにトリステインは小国、頭上から見下ろすアルビオンに反撃したところで討ち死には必至。敗戦後、責任を取らされるのは真っ平御免と言う所でしょうか。 それならば侵略者に尻尾を振って腹でも見せていれば命が永らえる。そうそう、私の聞き及んだ話ですと王党派は降伏してもギロチンなる処刑道具で首を刎ねられたそうですわ」 「姫殿下、言葉が過ぎますぞ」 マザリーニがたしなめる。しかしアンリエッタは一瞬だけ視線を彼に向けただけだった。 「わたくしは誇り高きトリステイン王国が王女、アンリエッタです。わたくしは王族としての義務を果たしに行きます。卑怯者どもの犬として首を刎ねられたいのならば、自由になさい」 アンリエッタは貴族達にそれ以上構うこともなく、ドレスの裾を捲り上げて会議室を飛び出していく。 「お待ち下さい! お輿入れ前の大事なお体ですぞ!」 マザリーニのみならず何人もの貴族がそれを押し留めようとするが、彼女は躊躇いなく彼らを一喝した。 「軽々しく王女に触れようとするとは何事ですか、立場を弁えなさい!」 アンリエッタに伸ばされようとしていた手が、威厳ある言葉によって動きを失った。そして行き場を無くした手達が彷徨う中、捲り上げた裾を強引に引き千切ると、破き取った裾をマザリーニの顔目掛けて投げ付けた。 「もううんざりだわ、私の意思は私のもの! 貴方がたに左右される云われはないわ!」 見るも無残に敗れた裾を翻し、足音も高く廊下を進んでいく。 会議室を守っていた魔法衛士達は、王女殿下の後ろを自然と付き従っていった。 宮廷の中庭に現れたアンリエッタは、涼やかな声で高らかに叫んだ。 「わたしの馬車を! 近衛! 参りなさい!」 中庭にいた衛士達がアンリエッタの元に集まり、ユニコーンの繋がれた馬車が衛士の手によって引かれて来る。 アンリエッタは馬車からユニコーンを一頭外し、傲慢なほど堂々と背に跨った。 「これより全軍の指揮をわたくしが執ります! 各連隊をここへ!」 前王が崩御してから十年余の時間を経、トリステイン王宮に王の声が響き渡る。 魔法衛士隊の面々は一斉に王女に敬礼し、アンリエッタはユニコーンの腹を蹴りつける。 甲高いいななきを上げて前足を高く掲げる中でも、彼女は悠然とした態度を崩さなかった。 アンリエッタの頭に載ったティアラが日の光を受け、黄金色に輝いたのを臣下に見せた後、ユニコーンは誇らしげに走り出す。 それに続き、幻獣に搭乗した衛士達がそれぞれ叫びを上げて続く。 「戦だ! 姫殿下に続け!」 「続け! 後れを取っては家名の恥だ!」 雪崩を打つように貴族達は各々の乗機に跨り、アンリエッタの後を追いかけていく。 王女出陣の知らせは城下に構える連隊へ届き、後れを取ってはならぬと次々とタルブへ向かって進んでいく。 投げ付けられた裾を手にしたまま、その様子を見ていたマザリーニは呆然と天を見上げた。 アンリエッタが貴族達に放った言葉は、自分も考えていたことだった。 伝え聞く情報は、レコン・キスタとは誇りや名誉という単語から程遠い場所に存在する連中だという事は知っていた。 だが現実問題として、今のトリステインでは彼らに太刀打ちできないことを一番知っているのは、国の政務を一手に引き受けてきたマザリーニである。 今ここで戦いに出たところで、無駄に被害を広げる結果にしかならないと考えている。今更命が惜しい訳ではない。現実的に考えれば考えるほど、国の為、民の為には事を荒立ててはいけなかった。小を切り捨て、大を生かす為にはそうせざるを得なかった。 だが、今この時、条約は破られ、戦争が始まっているのだ。外交のプロセスは既に終わっている。今は互いの国力をぶつけ合う実力行使の時間になっている。それを認めたくない、という気持ちがなかったとは言えなかった。 一人の高級貴族が、アルビオンに派遣する特使の件で耳打ちをする。 マザリーニは頭に被っていた球帽をそいつの顔面に思い切り投げ付けようとして、気が変わる。球帽を掴んだ拳ごと彼の鼻っ面に叩き込んだ。 そしてアンリエッタが投げ付けた裾を頭に巻き付け、叫んだ。 「各々方! 馬へ! 遅れてはならぬ、栄えある姫殿下の元に集え!」 To Be Contined → 戻る
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隣の部屋で情熱の炎が燃え盛っているのも知らず、ルイズは夢を見ていた。 ラ・ヴァリエールの領地にある屋敷の中庭にある池。 幼いルイズにとって、そこは安心できる『秘密の場所』だった。季節の花々が咲き乱れ、小鳥が集う石のアーチやベンチがある。岸辺から池の真ん中に伸びる木の橋の先には小さな島があり、その島には白い石造りの東屋が建っており、ほとりには一艘の小舟が浮いていた。 常に手入れは行き届き、こじんまりとしているが風光明媚と称せる美しさを保っている。 かつては家族でこの池に浮かべた小舟で舟遊びをすることもあった。今は家族――父も母も二人の姉も、誰もこの池に興味を向けない。が、それ故に幼い頃のルイズにとってここは安息の地であった。 二人の姉に比べて魔法の成績が悪いと母に叱られた時、ルイズは決まってこの池に逃げ込むと小さな小舟に乗り込んで、用意していた毛布を被って隠れて泣きじゃくるのだ。 やがて一頻り泣きじゃくって顔を上げると、いつの間にか小島にやってきていたらしい、マントを羽織った立派な貴族と目が合った。 「泣いてるのかい? ルイズ」 つばの広い羽根つき帽子が顔を隠しているので、顔はよく見えない。だがルイズには彼が誰かすぐに判った。自分より十歳年上で憧れの子爵様。十六歳になってすぐに近所の領地と爵位を相続した憧れの方。父と彼の父の間で交わされた約束の人―― 「子爵様、どうしてここに?」 「ルイズの姿が見えないとお母様が探されておられてね。きっとここにいるだろうと思った」 だって君のことは何でもよく知っているからね、と囁くように言われたルイズは、かぁっと顔が赤くなるのを止められなかった。 恥ずかしいのもあったが、憧れの子爵様にそう言われて嬉しい、という気持ちの方が強いというのもあった。 「子爵様ったらいけない人……私なんかからかって、何が楽しいのかしら」 ルイズはこの頃から意地っ張りでつい憎まれ口を叩いてしまう性分だった。 「ふふ、今日はあの話で君のお父様に呼ばれてたんだけれど。それより先に、僕の小さなルイズにお目通り出来た僕は幸せ者だろうね」 だが子爵様はさも楽しそうに言葉を続けるものだから、ルイズの顔から赤みが去ることはなかった。 「だ、だって、私まだ小さいし……よく、わかんないわ」 目の前の子爵様が十六歳くらいということは、この頃のルイズは六歳くらい。やっと少女に差し掛かったばかりの幼いルイズには、恋とか愛とかと言われてもピンと来ないのだ。 けれど、そんなルイズでも一つだけは判ることがあった。 (私は、子爵様のことが大好き) 難しいことはよく判らない。でも優しくてかっこいい憧れの子爵様は、大好きだ。 「ほら、おいで。僕からお父様にとりなしてあげる」 そう言って差し出された左手を取り……違和感を抱いた。 あれ。子爵様は、こんなボロボロの手袋を付けてたかしら? それになんか、手が柔らかくない……なんか、銅像の手を握っているような…… 「ほれどうしたルイズ。早くせんと置いてっちまうぞ」 明らかに声の質が変わった! 今までの青年の声じゃない、明らかに老人の声! ばっ、と勢い良く顔を上げたルイズは、いつの間にか六歳のルイズではなく十六歳のルイズに戻っていた。 「あっ……あんた、どうしてここにいんのよ!」 「どうしてって言われても困るのう」 親指で帽子のつばを押し上げたのは、どこからどう見てもジョセフ・ジョースターだった。 「ここで押し問答しとってもしょうがないじゃろ? ほら、わしも一緒に謝っちゃるから」 そう言うと有無を言わさずルイズの身体を軽々と抱き上げ、おんぶしてしまった。 「何するのよ! 離しなさいよ!」 さっきよりずっと顔を赤くして頭をぽこぽこ叩くが、ジョセフは気にせず歩き続けていく。 「まあまあ気にせんでええじゃろ。どうせ夢なんじゃし」 身も蓋もないことをのたまうジョセフから離れようとするが、ハーミットパープルがしっかりと身体を縛り付けていて離れる事も出来ない。 だが不快では決してないというか、むしろ広い背中に背負われているのが安心する。けれどそう思っている自分に、どうにもいら立った気分が広がるのも事実だった。 うなされていたルイズががばっと勢い良く身を起こした。 窓の外を見ればまだ日も昇る気配すら見せず、二つの月が空を煌々と照らしている。 びっしょりと汗をかいていた額を袖で拭いながら、何故か荒くなっていた胸の鼓動と吐息を落ち着かせるように呼吸を整えていく。 「な……何よ、今の夢……」 今までに何回もあんな夢を見たことはある。池の小舟で泣いている自分に子爵様が手を差し伸べてくれて、とても安心できる夢。だが今日のような展開は初めてだ。 よりにもよってこんな夢を見てしまっただなんて、どうかしてしまったんだろうか。 呼吸は少しずつ落ち着いてきているが、鼓動は痛いほどに胸を打ち続ける。 それでもしばらくすれば慌しかった呼吸も鼓動も平静を取り戻してきた。だが呼吸と鼓動が落ち着くのに反比例するように、段々と怒りが込み上げて来た。 (人がせっかく気持ちよく眠ってるのに、どうしてこんなヘンな夢を見せるのよ……!) それというのも、毛布の上で暢気に眠りこけているジョセフのせいだと結論づけると、苛立ち任せに枕元の乗馬鞭を掴んでベッドから降りる。 (そんな躾の行き届いてない使い魔はきちんと躾けなくちゃならないわね……!) 行き場のない怒りを何処にぶつけるか。一番手っ取り早いのはその原因にその怒りをぶつけること……とどのつまり八つ当たりである。ぺしん、ぺしん、と掌に鞭を当てながら、安らかに寝息を立てるジョセフにゆっくりと近付いていき――はた、と足を止めた。 (……あれ?) 怒りに燃えるルイズの足を止めたのは、ジョセフの奇妙な寝息だった。 よく耳を澄ませてみると、ずっと吐き続けているだけで吸おうとしない。 思わず聞き入るルイズの耳には途切れることなく、文字通りのジョセフの吐息ばかりが続いていた。試しに自分も大きく息を吸い込んでからゆっくりと息を吐いてみたが、その挑戦が終わってもまだジョセフの吐息は続いていた。 そう言えば波紋を習いたい、と言った時に十分間息を吐いて十分間息を吸う呼吸が出来れば使える、とかそんなことを言っていたような。とすると寝たままでも波紋の呼吸をしているということで…… (もしかしたらわかんないように息を吸ってるのかしら) さっきまでの怒りは何処へやら、探究心と好奇心に駆られたルイズは机の上から一枚紙を持って来ると、ジョセフの顔の上に置く。そして傍らにしゃがみ込んで使い魔の観察を始める。 ジョセフの吐息がずっと紙に当たり続ける音が聞こえ、全く吸う様子は見られない。 やがて吐息が途切れ、今度は静かに息を吸う音が続き始めた。 (あ。吸い始めた) 次に吸い終わるのをじっと待っていたが、十分間もしゃがんだまま待っていたら足が疲れるのは当然なので、ベッドに戻って両手で頬杖突きながら観察してみる。 それからおよそ十分後、再び紙に吐息が当たり始めた時にはとっくにルイズの怒りは収まっていた。というより、再び眠気がルイズの頭に纏わりついて猛威を振るっていた。 (……何バカなことしてたのかしら。よく考えたら夢の話じゃない……) とんでもない夢を見たから混乱してただけで、落ち着いてみればそんな下らない事で何を怒ってたんだという話である。そもそも眠いから考えるのも面倒くさくなった、というのは往々にして大きいのだが。 そしてルイズは再び毛布を被って眠りに付いた。 ジョセフの並外れた強運は年老いてもなお健在であった。 ただ彼の強運が証明されたことはほとんど誰も知る由がない。 強いて言えば、煌々と光る二つの月と、鞘に収められたままのデルフリンガーだけが事の顛末を見守っていた、ということだ。 To Be Contined →
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アルビオンの革命戦争の最終決戦、ニューカッスルの攻城戦は、百倍以上の敵軍に対して、自軍の三十倍以上にも上る大損害を与えた戦い……伝説となったのであった。 攻城に費やした時間は然程長くはなかったが、反乱軍……いや、アルビオン王軍を打倒した反乱軍『レコン・キスタ』は、既にアルビオンの新政府である……の損害は、この戦いに関与したあらゆる人物の想像を遥かに超えていた。 三百の王軍に対して、損害は五千。離脱者も加えれば一万。 人員の損耗数を見れば、五万のレコン・キスタの二割がその数を減じたことになる。 軍事用語で全滅と言えば、外部からの攻撃等により部隊がほぼ機能しなくなるほどの損害を受けている状態を指す。アルビオン王軍のように最後の一人まで死んでしまえば、勿論全滅と称するしかない。 しかしレコン・キスタはこの戦いの後、構成人員自体の大損害及び生存人員に蔓延した戦意の著しい低下により、僅かな期間ながらも軍行動を麻痺させる結果に陥ることになる。 歴史の大きな流れからしてみれば微々たる時間ではあるが、『外部からの攻撃により部隊がほぼ機能しなくなる損害』を受けたという一点を見れば、レコン・キスタもまた「全滅した」という形容をせざるをえないだろう。 * 浮遊大陸の岬の突端に位置した城は、一方向からしか攻めることができない。密集して押し寄せたレコン・キスタの先陣は、魔法と大砲の斉射を何度も食らい、大損害を受けた。 その先陣にメイジの数はほぼ皆無であり、その大多数が平民の傭兵、稀にメイジの傭兵がいた程度であった。空軍の砲弾と風石の消費より平民の消費の方が安く付く為、空軍艦隊が動かなかったのも被害を拡大させた一因である。 しかし多勢に無勢の言葉通り、友軍の死骸を踏み越え数に任せて城壁に侵入したレコン・キスタの兵士達の手で、堅城は脆くも落城する……筈だった。 だがニューカッスルのメイジ達は城壁を破られたと見るや、全員がフライで一斉に城壁から離脱し、城内へと退却していった。 勢い込んでメイジ達を追撃しようとしたレコン・キスタの兵士達の前に立ち塞がったのは、巨大なスコップを構えたゴーレムの軍団であった。 剣でも槍でも槌でもなくスコップを構えた奇妙な人形達に疑問を抱く暇も与えられないまま、空を飛ぶことも出来ず地を走ることしか出来ない傭兵達は、常人を軽く凌駕する膂力を持つゴーレム達が振るうスコップに命を砕かれた。 しかしそれさえも数に任せた傭兵達の、アリが角砂糖に群がるように一体、また一体と破壊されていく。 ゴーレムを打ち倒して今度こそはと城目掛けて走る傭兵達を次に待ち構えていたのは、遥か下の大地へと続く落とし穴だった。門から城へと続く通路を穿つよう、即席の堀として刻まれた穴の中には、またもやゴーレムが配備されていた。 『上から落ちてきた物体全てを穴へ捨てる』という命令を受けて動くゴーレム達は、不用意に落ちてきた哀れな犠牲者達を、穴の底にまた掘られた遥か遠い大地へ続く穴へ、まるでゴミを捨てるような動作で傭兵達を投げ捨てていった。 先陣を取った傭兵達の不運は、城の宝物を漁りに来る大勢の同業者達が血走った目で我先に駆け込んでくる事だった。 罠が仕掛けられている、そんな叫びもやや遅れて城内へと突入してくる兵士達を押しとどめることなど出来はしない。後ろから押し寄せてくる友軍達により、次から次へと傭兵達は遥か下の地面へと真っ逆さまに落ちることとなったのだ。 幸運にも落とし穴を迂回して城に辿り着く兵士もいるにはいたが、ニューカッスルのメイジ達が逃げ込んだ城砦は既に全ての門と窓を閉ざしており、中に入り込むことなど到底出来はしなかった。 だがそれも穴を回避して城に辿り着く兵士の数が増えていくに連れ、城内にレコン・キスタの兵士が遂に侵入するかと思われた……その時。 「レコン・キスタに告ぐ」 ニューカッスル城に響き渡ったのは、ウェールズ皇太子の静かな言葉だった。 風の魔法で増幅されたウェールズの声は、ニューカッスル城や岬全域のみならず、岬の周辺で待機していたレコン・キスタ空軍の艦隊にも届いていた。 「君達レコン・キスタはハルケギニアを統一しようとしている。『聖地』を取り戻すという理想を掲げているが、理想を掲げるのはいい。しかし君達はその過程で流される民草の血のことを考えぬ。荒廃するであろう国土のことを考えぬ」 淡々と、しかし様々な思いを乗せて紡がれる言葉に、ニューカッスル城の攻防に参加している者達が思わず耳を傾ける。 「我らアルビオン王家はご覧の通り小城に追い詰められ、今まさに滅亡しようとしている。しかし我らは勝てずともせめて勇気と名誉、そして王家に秘められし魔術の片鱗を君達に見せ付け、ハルケギニアの王家が弱敵でない事を示さねばならない。 君達がそれで『統一』と『聖地の回復』などという大それた野望を捨てるとも思えないが、それでも我らは勇気を示さねばならぬ」 そこで一旦言葉を切ると、ウェールズは毅然と次の言葉を言い放った。 「何故か? 簡単だ。それは我らの義務なのだ。王家に生まれた者の義務なのだ。内憂を払えなかった王家に、最後に課せられた義務なのだ」 淡々と、しかし苦渋を滲ませた演説が途切れる。そして一つ、大きく息を吸い込んだらしき音の直後、それまでとは打って変わった勇ましい口調が空に響き渡った。 「よってここにアルビオン王家は敗北を宣言する。しかし君達に杖の一本銅貨の一枚たりともくれてやる訳にはいかない! アルビオン王家第一王位継承者、ウェールズ・テューダーがアルビオン王家に伝わる秘められし風の魔法を披露しよう!」 それから、数瞬置いて。 ニューカッスル城に侵入した兵士達は信じられない光景を目撃することになる。 ニューカッスルの城中の至る箇所から爆発が起こり。岬の付け根に当たる部分からも爆発音が轟いた。 突然の事に状況を把握しようとした兵士達の中で、これから起こる全ての事を予想できた者は一人たりともいなかった。 先程轟いた爆発音でさえ、次に轟く音に比べれば蚊の羽音と変わりはなかっただろう。 爆発と煙を噴き上げた城がまるで砂の城であったかのように容易く崩れて行き、大量の瓦礫と化した城の残骸が周囲に降り注ぐ。 城に纏わり付こうとしていた兵士達は、逃げ出そうとする努力を嘲笑うかのように瓦礫に押し潰され、生物としての原型を留めることさえ許されなかった。 しかし城と言う巨大な建造物を構築する圧倒的な体積が降り注ぐ被害は、たかが数百数千の兵士を圧迫する為の代物で済むはずもない。 岬の先端に位置する城が崩壊したことにより、ニューカッスルの岬をてこに見立てた「てこの原理」が発生することになる。 城が崩落することで生まれる圧倒的な落下エネルギーを力点とした結果、何処が作用点になるかと言えば、岬の付け根である。付け根の中で起こった爆発で地盤の緩んだ岬は、力点に加えられた巨大なエネルギーの前に何の抵抗もする事が出来ず……崩落する。 レコン・キスタの不運は、五万と言う数を集めた事に尽きた。 五万と言う大軍といえども、その多数は魔法も使えない平民の傭兵。 それを岬に集約させればどうなるか。 その岬を浮遊大陸から切り離してしまえばどうなるか。 導き出される答えは、あまりにも簡単だ。 ニューカッスル城は、自らが築かれた岬と、何千ものレコン・キスタの兵を道連れとし……遥か下の大地へと落下することとなる。 ここで魔法が使える貴族達はフライの魔法で事なきを得るが、平民達はハルケギニアの引力に縛られるしかない。 地面に落ち行く岬は落下速度と大量の質量という強大なエネルギーを得る。 スヴェルの月夜の翌日という時期、トリステイン王国上空を抜けてガリアへ入り、再び外海へと向かうコースを取ろうとしていたアルビオン大陸から切り離された岬は、ガリア王国の人里離れた山脈に墜落した。 その衝撃はガリアのみならずトリステインやロマリア皇国、果ては帝政ゲルマニアまで届く地震を起こすまでに至った。 かつては名城と謳われたニューカッスルの城は、惨状という生温い言葉で片付ける事は出来なかった。 ガリア王国の山に打ち付けられた岬の残骸には、無数の人間だった残骸が散らばり、腐肉を啄ばむ獣や鳥達でさえ易々と近寄らない領域と成り果てた。 城壁も城砦も爆破と墜落で完全に粉砕され、「城であった」という痕跡は大量の瓦礫の量から辛うじて伺う事が出来るに過ぎなかった。 このアルビオン王家最後の魔法を目の当たりにしたレコン・キスタは恐慌に陥り、貴族・平民双方がこれからの王家の戦いに恐れと怯えを抱き、離反者が続出した。 無論このような凄まじい出来事が人々の口に昇らぬ筈もなく、王家の強大な力が尾ひれをつけてハルケギニアを駆け巡る事になる。失われた虚無の魔法が使われたのだと言う真実味に欠ける噂ですら、それを頭から疑う者は少数派だった程である。 結果、ハルケギニア統一を掲げたレコン・キスタの野望はアルビオン王国に取って代わり新政府を樹立し、神聖アルビオン共和国の名を名乗った段階で動きを大きく留める事となった。 しかしそのような事態に陥ってもなお、笑みを絶やすことのない『レコン・キスタ』総司令官にして初代皇帝であるオリヴァー・クロムウェルに、周囲の側近達は畏怖とも恐怖とも付かない視線で彼を見ることになったのだが。 * 時を大きく戻し、決戦前夜。 ジェームズ一世の寝室を辞したジョセフは、王直筆の書状を手にしていた。 王直属の臣下として認める意を示すこの書状を持つ今、ジョセフはある意味アルビオン国王の権利を行使することを可能としたのである。 たった23分でただの平民の使い魔から、虚無の使い手であり国王直属の臣下へと一足飛びどころかテレポートレベルの大出世を遂げた図体の大きな老人を、後ろに続く誰もが信じられないものを見る目つきで見ていた。 「さァて、これでわしの計画を問題なく進められるな。後はメイジ達に国王陛下の健在っぷりを見せりゃー、それでチェックメイトじゃな」 くくく、と普段と変わらず笑うジョセフに、ウェールズが恐る恐る口を開いた。 「御老人……いや、今は……ミスタ・ジョースターと呼ぶべきだろうか?」 今の自分がどのような存在か計りかねているウェールズに、ジョセフはあっけらかんと言った。 「今まで通り御老人、と呼んで下されば結構ッ。なーに、王が準備を整える前にもう一つやっておかなくちゃならんコトがありますのでな」 歩みを止めないまま、後ろに続く若きメイジ達にニヤリと笑って言ってみせる。 「大人数を納得させるのにわざわざ一人一人説得していくのはマヌケのやることじゃ。大人数を納得させられるたった一人の人間を納得させて、その一人に説得させりゃーそれで済むという事ッ。根回し交渉の基礎の基礎というヤツじゃな」 からから楽しげに笑うジョセフが次に向かったのは厨房。まだ起きていた使用人に書状を見せ、まだ残っていたワイン樽と三百人分のグラスを用意させて、それらをホールへと運ばせた。 それからさしたる時間を置かず、王の命令によって再びホールに集められたメイジ達は自分の目を疑う光景を目撃する。 簡易の玉座の前に現れたジェームズ一世は、老いさらばえた平素の姿ではなく、二本の両脚で何の揺らぎも見せず玉座の前へと歩んでいく。 その側に立つのはウェールズ王子と……もう一人、確かトリステインからやってきたという平民の老人がいる様子に、首を傾げる者は少なくない。 玉座の前に立つジェームズは、ホールに集められた三百のメイジ達を睥睨する。 かつての王を知る古くからの忠臣達は、王から失われて久しい強い眼力を久方ぶりに感じ、思わず背筋を伸ばした。 「あいやおのおのがた、明日の決戦に備えて休息を取っていたというのに、この様な真夜中に呼びつけられてさぞや憤慨しているだろうが。この朕の姿を見てもらいたい」 ホールに朗々と響き渡る声もまた、かつての王が持っていた力強さに満ちていた。 話す事さえ覚束無かった王の凛々しい姿に、アルビオン王家に最後まで殉ずる事を選んだメイジ達はこれは夢ではなかろうか、と自分の正気を疑うも、どうにも夢とは思えない。 「このジェームスが往年の生気を取り戻したのは理由がある。朕の身体に命の灯火を再び燃やしているのは……歴史から失われて久しいとされた、虚無の力」 その言葉に、ホールがざわめいた。 伝説としてのみ語られるだけで、どのような力かさえ歴史の闇に埋もれた虚無の系統。 真偽をすぐさま判別することは出来ないが、しかし、王が雄雄しき姿を取り戻し、生きる力に満ち溢れているのは誰の目にも明らかだった。 そして何より、王は自らの身体に流れている力を虚無だと信じている。 それを誰が面と向かって「いいえ王、それは虚無ではありません」と言う事が出来ようか。出来る筈がない。 突然の王の言葉を頭から信じられる者の数は決して多くはないものの、目撃している光景と王の語る言葉が、段々と三百のメイジ達に虚無の力が存在すると信じさせていくのは、さして難しいことでもない。 「始祖ブリミルの血統を継ぐ王家に、不遜にも楯突く反逆者どもの暴虐を見かねた始祖ブリミルは、遂に自らの使徒をこのニューカッスルへと降臨なされたのだ」 その言葉と共に、後ろに控えていたジョセフが一歩前へ踏み出し、恭しく臣下達に一礼した。平民であるはずの老人を、ジェームスが自らと同等に扱う光景を目の当たりにした臣下達に疑問を指し抱かせる間も与えず、ジョセフの名を高らかに呼んだ。 「彼こそが虚無の担い手、ジョセフ・ジョースター! 始祖ブリミルより授けられし虚無の力と類稀なる奇跡の戦略を携えて滅び行く王家に伝説の力を与えに来たのだ!」 その言葉にホールのメイジ達は一斉にどよめく。 明日死に行くだけの戦いを待っている臣下達に、藪から棒に示された『虚無の担い手』。 いきなりそんな突拍子もない事を言われただけでは、王の言葉と言えども信じることは出来なかっただろう……が、枯れて折れるばかりとなっていた王が往年の精気を取り戻している、奇跡と呼ぶに相応しい姿。 『それは本当に虚無なのではないか』。そんな考えが少しずつ伝染していく。 これが平時ならばそう簡単に信じる事も出来なかっただろう。 が、明朝に死を迎えた者達に突如見せられた奇跡を、藁にも縋りたい心持ちの者達が信じたくなる事を誰が責めることができるだろうか。 一人、また一人と『始祖の使徒』の存在を信じていく。 小さな細波はやがてうねりを得、それが大波へと変貌する様を見たジョセフは、次に自ら用意させたワイン樽を玉座の元へ運ばせた。 樽の横に歩み寄ったジョセフは恭しくメイジ達に一礼すると、朗々とした声をホールに響かせていく。 「さてアルビオン王家に最後までお仕えされた忠臣たる皆様に、虚無の奇跡を御覧に入れると致しましょう。国王陛下の身体に流れる虚無の力、三百のメイジ全てに流すには誠に無念ながら精神力が足りませぬ」 いかにも残念で仕方がない、という様に肩を竦めてから、大仰に両腕を広げた。 「しかし! 虚無の力をこの樽に満たされたワインに流し、皆様方に虚無で祝福されたワインを飲んでいただくことにより、国王陛下ほどに劇的な効果ではないにせよ始祖ブリミルの祝福を皆様に分け与えることが可能になるのです!」 ジョセフの大嘘ハッタリは絶好調であった。 波紋の直流しほどではないにせよ、波紋を流した液体を飲ませれば栄養ドリンクを飲んだくらいの滋養強壮効果があるのは間違いない。が、これほど何の躊躇いもなく虚無の担い手として振舞う姿を目撃している仲間達は、開いた口を塞ごうとも考える事が出来なかった。 ジョセフはまたしてもGetBackを口ずさみ、自分の身体を波紋で輝かせながら杖をワイン樽に触れさせる。 杖から放たれる太陽の光に似た暖かな光は、確かに四系統の魔法では為し得ないもの。 そして樽からグラスに注いだワインを手に、手近にいたメイジを手招きした。 「ではまず、代表して貴方にワインの効果をお確かめ頂きたい」 「わ……私が?」 半信半疑でグラスを受け取るメイジが、恐る恐るワインを飲む。 ワインが口を潤し喉を通っていくに従い、メイジの目が驚きで見開かれた。 「なんというか……気品に満ちたワインというか、たとえると、サウスゴータのハープを弾くレディが飲むような味というか、非常にさわやかだ……3日間砂漠をうろついて、初めて飲む水というような……!」 それから一気にワインを飲み干したメイジは、自分の身体に駆け巡る活力の強さに思わず奇妙な効果音と共にレベル6のポージングを決めたッ! これもまたジョセフの策略の一つである。 虚無の力はジェームス一世の健在っぷりを示すことで証明出来たが、ワインに虚無の力を込めたと証明する為にはまた新たな証拠を用意しなければならない。 そこでたまたま近くにいたメイジを呼び寄せ、グラスを持った手から流した波紋入りのワインを飲ませる事で、三百のメイジ達に『今から飲むワインは虚無の力が込められている』と強く認識させる事が可能になったのだ。 これから残り二百九十九人に振舞うワインは、今の一人に飲ませた「特製レベル6ポージング波紋ワイン」ではなく、「波紋入りレベル1ワイン」と言う様な……つまり紛い物程度の効果しかない。 だがこれからワインを飲むメイジ達は、王と一人のメイジの効果を目の当たりにしている。自分だけ効果がないとなれば、それは始祖ブリミルの祝福を受けられなかったと言う事と同義になってしまう。 その為誰もがワインの効果を疑わないし、疑えない。 だが微々たる物とは言えども、波紋が流れたワインは人間にとって有益なものである。多少の効き目と始祖と虚無の名は、プラシーボ効果を促進させる役割も負うと言う訳だ。 二百九十九のグラスに注がれたワインがメイジ達の喉を通ったその時から、ニューカッスルのメイジ達は否応無しにジョセフを虚無の担い手、始祖ブリミルの使徒として扱わねばならない状態に巻き込まれたのだった。 To Be Contined →
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キュルケとギーシュの二人に両脇を抱えられて空を飛ぶルイズの左目には、途切れる事無くジョセフの視界が映り込んでいた。 自分を殺そうとしてくる何人ものワルドが次々と打ち倒されていく光景は、目を閉じても否応無しに見せられ続ける。 薄汚れた暗殺者でトリステインを裏切った重罪人だとしても、憧れの人だった青年であったことは変え様が無い。しかし今、実際に襲われているのは自分ではない。ジョセフだ。 自分の中にあるはずもない魔法の才能に求婚したワルドと、守ってやると誓ったジョセフ。今のルイズがどちらに重きを置いているかは、斟酌するまでも無い。だが、それでも。まだワルドの変貌に気付いてから一日も経っていない。 そう簡単に割り切れるものでは、なかった。 「もっと急いで! このままじゃ、ジョセフが……」 「黙ってて! これでも私達の全速力よ!」 「焦る気持ちは判るよ、ミス・ヴァリエール! 僕達だって友人を失いたくないからね!」 普段の飄々とした軽薄な雰囲気を感じさせない切羽詰った二人の返答に、ルイズは言葉を詰まらせた。 「ご……ごめん。うん、判ってる……でも……」 ルイズを抱える手に僅かに力を込め、キュルケは火のような赤い瞳を彼女に向ける。 「言っておくけど、私達の精神力はもう期待しないで。正直、もしかしたらタバサ達と合流する前に精神力が尽きるかもしれない。もしジョセフが負けた時、私達が戦わなくちゃならないとしたら――」 一旦言葉を切り、一瞬だけ無言で鳶色の瞳を真正面から見据えた後、言い切った。 「あの裏切り者と戦うのは貴方よ、ヴァリエール」 「……判ってるわよ、そんなのは……!」 微かに出るのが遅れた言葉は、その事実に目が向いていなかった事の証明だった。 判っていなかったのではなく、あえて目を背けていたのだろう、とキュルケは考えた。 (無理もないわ。でもねルイズ、それでもアンタはダーリンを助けに行くと言ったのよ。アンタの中では、もうとっくに答えは出ているということよ。踏み切るなら、早い内の方がいいわ。下手に迷うと……みんな、死んでしまう) キュルケの中で走る思いは、言葉にはならない。それは言うまでも無いことだからだ。キュルケが知っているルイズという少女は、魔法の才能はゼロだが聡明で誇り高く、ジョセフ・ジョースターという老人を大切に思っている。 しかしかつての憧れの人物を、裏切り者だと知ってすぐに掌を返して敵対できるような性格でないことも、よく知っている。 そうと知っていてルイズの望みを叶えようと、枯れかけている精神力を絞り出して空を翔けている。 (私ってば情が深いのよね。博愛主義、というやつなのかしら) くす、と小さな笑みを浮かべ。自分には見えない光景を見ているルイズの表情の変化は、どんな言葉よりも雄弁にジョセフ達の窮地を教えてくれる。 無二の親友タバサと、愛するジョセフを救うため。そして認めたくは無いけれど。 先祖代々の仇敵と言えども、ルイズという友人の為に。 三人の少年少女は、一日足らずの滞在となったニューカッスルへ再び接近した。 昨日見た光景とは違い、既に城は無残に崩れ落ちてしまっている。先程出航してからさして時間も経っていないのに大きく変わった岬のシルエットに驚いたのも束の間。 続けて岬全体がゆっくりと大陸からずれるように滑り落ちていく。 「うわ! 見てみなよ二人とも! 岬が……岬が、落ちていく!」 ギーシュが言うまでも無く、ルイズとキュルケは落ちる岬に視線を奪われていた。 「……今まで正直信じられなかったけど……本当に岬って落ちるものなのね……」 たった一言呟いて、キュルケは思いを新たにした。 あれだけのことをやってのける人物は、必ずツェルプストーに大きな利益を齎すことだろう。それがヴァリエールの恋人だというのなら、ツェルプストーの伝統にかけて、何としてもモノにしなければ。 (……でも、御先祖様達がやってきたことよりずっと難しいだろうけど) モノにする本人がルイズを猫可愛がりしているのは明らかだし、何よりルイズもジョセフを大切に思っている。それでも、目標が困難ならば困難なほど燃え上がるのは、ツェルプストーの血筋と言うものだった。 だがルイズは眼前で起こるスペクタクルの他にもう一つ、注視しなければならない情景が左目に休み無く映し出されていた。 正にその時、ジョセフはシルフイードの背を蹴りその身一つでワルドに躍り掛かった。 左腕から迸るハーミットパープルがワルドへ奔るが、ワルドはグリフォンの機動と風の渦で紫の茨を薙ぎ払い回避していくが、一本の茨が遂にワルドの左腕を捕らえた。 ルイズは知る由もないが、それは奇しくも昨夜の戦いと同じ流れ。 昨夜はジョセフの左腕を放つ一撃でワルドの左腕を切り飛ばした。 今もまた、ジョセフの左腕から放たれた茨を伝った波紋がワルドの腕を吹き飛ばした。 しかしそこからは、昨夜とは異なっていた。 ワルドは瞬時に自らの左肩を自分の作り出した風の渦で切り離し、波紋の伝達を防ぐ。 グリフォンの翼が大きく振り払われ、視界が大きく回転する。 空の青と雲の白が目まぐるしく入れ替わる中、恐ろしいスピードで迫ったグリフォンの前脚が振り下ろされるのが見え――ルイズは、目を閉じるのではなく、見開いた。 「ジョセフ!!」 赤い何かが目の前に飛び散っているのが見える。それが自分の血ではなくジョセフの血だと判別するのも一瞬遅れた。 空を落ちていく視界に、今しがた吹き飛ばされたはずのワルドの左腕が、瞬時に再生するのを、ルイズは確かに目撃した。 見る見るうちにグリフォンが小さくなっていく視界。 ルイズは、ふる、と小さく首を振った。 これが夢なら、どんなにいいだろう。 ワルドは昔と変わらない憧れの人で。アルビオンは滅びることなんか無くて、アンリエッタとウェールズが手を取り合えて。ジョセフもお調子者で自分を怒らせたりするけど、ただ側にいてくれて。 どうしてこんなことになってしまったんだろう。 「うっ……」 喉の奥がつんとして、おなかの底から堪え切れない波が押し寄せてくる。 熱くなった目に涙が溜まってぽろぽろと風に流されていくのが、判る。 「う、うっ……」 泣くものか。泣いてたまるか。泣きたくなんか、ない。 昨夜だって。ワルドが倒されてジョセフに抱き締められた時だって泣かなかったじゃない、私。今泣いちゃ駄目。だってまだ、ジョセフは死んでない……左目に、ジョセフの見ている物が見えるんだもの……。 「……ミス・ヴァリエール。ミス・タバサの風竜が見えたよ」 込み上げる涙を何とか押し留めようと必死に自分に言い聞かせていたルイズに、少しばかり言いにくそうに言ったギーシュの言葉が届く。 涙で滲む両目を袖で拭うと、前から猛スピードで飛んでくるシルフィードが見えた。 「……ええ、見えるわ……」 たった一言答えて、ぐ、と嗚咽を飲み込んだ。 まだ胸はしゃくり上げるのを止められないが、呪文の詠唱は出来ないことはない。 シルフィードは空で巨大な半円を描くように旋回することで、三人を背に乗せるための減速と同時にすぐさま元の空域へ戻れる機動を行う。 タバサがワルドに反撃する為の手段を求めていたのも確かだが、ルイズ達がフネを離れてわざわざここまで来たという事は、ジョセフとの感覚の共有で今しがたのアクシデントを察知したからだ、という推論に達するのは自然とも言える。 ルイズ達の飛行ルートとシルフィードの旋回するルートを巧妙に合わせ、互いのスピードを無理に調整することも無く三人をシルフィードの背に乗せることに成功した。 決して短くない距離をフライで飛んできたキュルケとギーシュは、既に戦力として望むべくもない。気を抜けば今にも気を失いかねないほど消耗している。 残る戦力となるルイズに頼るしかない状況の中、タバサはルイズを見やる。 「シルフィードが怪我をすればトリステインに帰還出来ないかもしれない。だから私は回避に専念する他ない。貴方の魔法だけが頼り」 要点のみを連ねたタバサの言葉に、ルイズは泣き腫らして赤くなった目を袖で拭った。 「判ってるわ……! ワルドを倒して……ジョセフを、助けに行かなくちゃならないんだもの……!」 それはタバサに答える言葉と言うより、自らに言い聞かせる類の言葉。 そうやって口にしてもまだ断ち切れないほど、彼女に縛り付いた躊躇は弱くなかったが。 * 激痛などという甘い言葉で表現できない衝撃。 人生の中で何度も味わった感覚を、ジョセフは感じていた。 高い空から地面に向かって落ちていく経験は何度もあるが、だからと言ってそれに慣れられるという訳ではない。 (アバラは2、3本じゃすまんくらい折れている……胸の肉も大分抉られてる……呼吸は何とか出来るがッ……波紋は練れんッ……) むしろライオン並みの大型の獣の前脚を食らってこの程度で済んでいる、というのは幸運以外の何物でもないのだが。 だが年老いてもなお明晰さを保持しているジョセフの頭脳は、既に答えを導き出していた。 (このままでは助からない) 飛行機も無ければパラシュートも無い。 せめてもの救いはタバサとウェールズを逃がすことは出来たということ。 だが、こんな異世界で死んでしまえば。地球に残してきた家族や友人達を悲しませてしまう。そしてあの小生意気な主人も。 (ちくしょうッ……わしも今まで奇妙な敵達との死闘を潜ってきたが……最後があんなクソガキに負けて死ぬっつーのはカンベンしてほしかったわなァ――) ものすごい速度で空を落ちていく中、ジョセフの意識は不思議なほど明朗だった。 「――思い出したぜ、相棒」 落下の最中、左手に握られたままのデルフリンガーが、言った。 「ボッコボコにされたあいつがなんでピンピンで戻ってきたか思い出したぜ! でもその種明かしはまた後だ、実はもう一つ思い出したことがあるんだよ!」 デルフがそう言った直後、ジョセフの身体が自身の意思を無視して動き始める。 乱れた呼吸が整い、激しい生命力に満ちた呼吸に変貌していく。 その呼吸は、ジョセフにとって非常に馴染み深いものだった。 全身の痛みを和らげ、何本も折れていた肋骨が見る見るうちにくっつき、胸から吹き出し続けていた血が止まっていく。 「これはッ……波紋!?」 「その通りだぜ相棒! 俺っちにゃ吸い込んだ魔法の分だけ使い手の身体を動かす力があるんだよ! 疲れるから使いたくはねえんだがな! 足とか手とかなら動かしたことあるけどよ、こんな妙ちくりんな動かし方させたのは初めてだが何とかなったな!」 「空は飛べたり出来んのか!」 「そこまでムチャ言うんじゃねえよ相棒! そこらは自分で何とかしてくれよ!」 「伝説の剣ならそのくらいの機能つけといてくれんか!」 軽口を叩きあいながらも、ジョセフは先に空中に落ちたニューカッスルの岬を見下ろす。 自分が落ちたのは岬が落ちてから数秒後のこと。 あれだけ巨大な物体が受ける空気抵抗はかなり大きい。ならば。 「無理を通せば道理が引っ込むって言葉もあるよなァ!」 空中で無理矢理姿勢を立て直し、両足を下に向けて空気抵抗を成る丈殺して落下速度を早める。 下から吹き上げる風圧に巻き上げられた城の瓦礫に狙いを定めて足を付けると、落下する方向を変える為の跳躍を繰り返す。 瓦礫と言えども中にはかなり大きなものも多い。打ち所が悪ければ死ぬかもしれない。 しかしジョセフは巧みに瓦礫の八艘飛びを成功させると、止まる事無く落下を続けている岬へ見事着地した。 瓦礫さえ吹き上げる風圧の中、ジョセフが岬に立っていられるのは吸い付く波紋で足を地面にくっつけているからである。 「で、岬に着いてどーすんだ相棒。このスピードじゃ落ちたら死ぬぜ。俺っちは剣だからもしかしたらどうなるかもしれねぇがよ」 まるで他人事のように評論するデルフリンガーに、ジョセフは何でもない事のように言った。 「とりあえず最後までやれるだけの事はやってから諦めるしかあるまい。何とか出来そうな心当たりがないワケじゃあない」 「あるのかよ?」 「やるだけのことはやってから死ぬのがジョースターの伝統でなッ!」 そう言った瞬間、ジョセフは空を落ちる地面を走り出す。かつてジョセフの命を救った生命の大車輪は、50年経った今も錆び付いてなどいなかった。 「それでこそ伝説の使い魔だな! くぅーっ、そこにシビれる憧れるってな! よし相棒、よーく聞け。あのキザにーちゃんが波紋で腕が吹き飛んだ理由とすぐに生えた理由を思い出した。ありゃー先住魔法だ。水の精霊の力が身体に充満してやがる」 「先住魔法?」 「ブリミルがハルケギニアに来る前にこの世界で使われてた魔法だ。今の貴族達が使う系統魔法とは違うが、効果は系統魔法よりずっと強い」 「なるほどな、昨夜ブッちめたはずのあいつが舞い戻ってきたのはそのせいか?」 「その通りだ。アイツは厄介だが波紋に対しては相性が最悪だわな」 ジョセフの脳裏には、波紋を流された途端左腕が破裂した光景が映し出された。 「確かに波紋は水を自由自在に駆け巡る性質があるからな。水の精霊って言うくらいなんじゃから、普通の生き物なんか問題にならないくらい水気がたっぷりじゃろうな」 「波紋以外であいつを倒す方法は、水を害する火の魔法か……そうでなけりゃ……」 虚無の魔法、と言いたい所ではあるが、そんなものを使える心当たりはデルフリンガーには無い。 「あのお嬢ちゃんの失敗魔法か、だな。あれは威力も高いがとにかく爆発させる効果がいい。今のアイツは言わば水の塊だ、再生出来ない位飛び散らせちまえばいいって寸法よ」 「ルイズの……か。しかし望みは薄いな」 ルイズはトリステインに帰るフネに乗せている。 ならば今ジョセフの中にある手段を試す以外に手は無かった。 「で、そろそろ俺っちに種明かししてくれよ。今、相棒と俺っちが助かるものすげェ手段ってヤツをよ」 「言うよりも実際に見せてやった方が……」 ふと、ジョセフの言葉が途切れた。 「どうしたよ、相棒」 「いや……なんか、左目がおかしい……」 ジョセフの視界が少しずつ揺らいでいく。 「そりゃーあんだけドタバタやってるんだからよ、疲れてるんだよ」 何度か瞬きをしているうち、段々と視界の揺らぎは歪みに移行し。やがて、何らかの像を結んだ。 「うおッ!? なんか別のものが見えるぞ!?」 思わずジョセフが叫んだ。それが自分の見ているものではない、誰かの視界だと言う結論に達するのはさして難しいことではなかった。 「おう、何が見えてるんだ相棒」 「こいつぁ……ルイズの視界じゃな」 いつかルイズが言っていた事を思い出す。 『使い魔は主人の目となり耳となる能力を与えられるわ』 しかしルイズはちっとも自分の見てるものなんか見えないと言っていたが。逆の場合もあるということなんじゃろうな、とジョセフは納得した。 だが、何故突然ルイズの視界が自分の左目に映り込んだのか。 左手を覆う手袋の中から見えた、いつにも増して強く光るルーンの輝きに、ジョセフはおおよその事情を理解した。 これも伝説の使い魔『ガンダールヴ』としての能力の一つだと言う事だと。 どんな状況になるとルイズの視界が見えるのか、と考えると、ジョセフは左目に映った視界を注視し――愕然とする。 そこに見えたのは青い竜の背。ものすごい速度で飛んでいるのは飛び行く雲の速さが雄弁に語っている。 時折ちらりちらりと視線が揺らぐのは、ルイズ自身の不安を如実に示す。 まず見えたのはタバサの背。続いて横に座るキュルケ、ギーシュ。背に乗せられて気絶したままのウェールズ。 そして、見る見るうちに相対距離を縮める――ワルドのグリフォン。 「な……なッ……」 「な?」 「何をやっとるかあいつらァァーーーッッッ」 流石のジョセフでもこの光景は想定外も想定外だった。 逃げろと言ったのにどうしてまた立ち向かってるのか、どうしてシルフィードの背に全員が乗っているのか。それは推理するまでも無い。 それにしても、だ。勝ち目の無い戦いに新たな手も用意せず再び向かおうとする、向こう見ずなどと言う生易しい言葉で言い表せない程の無謀に、ジョセフは帰ったら全員大説教だ、と心に決めた。 同時に。今から行うべき手段は何としてでも成功させなければならない、とも心に決める。 「人生にゃあどうしてもやらなくちゃならん時があるよなぁ……」 ふ、と口の端に笑みを浮かべ。ジョセフは目的の場所に辿り着いた。 「おい相棒、ここか? 本当にここか? ここに俺達が助かるどんな方法があるんだ?」 戸惑うように鍔を鳴らすデルフリンガーに、ジョセフはニヤリと笑ってハーミットパープルを伸ばす。 搾り尽くした筈のスタンドパワーがなおも溢れてくるのが判る。 もしかしたらこのスタンドパワーは命を削って無理矢理出しているものかもしれない。 だが、ここでやらなければ。どちらにせよ、だ。 左手に握ったデルフリンガーを更に強く握り締め、ハーミットパープルは目当ての“それ”を掴み取った。 「よォッしゃァアーーーッッ! さすがワシ! ついてるゥ!」 デルフリンガーは「おい、ここまで一生懸命走ってきたの一か八かだったのかよ」とツッコミを入れるのも面倒臭かった。 To Be Contined →
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ルイズの爆発魔法でワルドの首が霧散したのを確認することもせず、シルフィードは急速降下に入った。 まだ終わりではない。ワルドは確かに倒したが、ジョセフを救わなければならない。このまま放って置けばニューカッスルの岬ごとジョセフは大地に叩き付けられる。いくらジョセフと言えども、そんな事になれば生きていられるとは到底思えない。 しかもワルドを撃破したと同時に、大木のように茂っていたハーミットパープルはまるで枯れて朽ちていくように消え失せた。 メイジは精神力を使い果たしてもせいぜい気絶する程度で済む。スタンド使いが精神力を使い果たしたらどうなるのかは知らない。 かつて武器屋探しのついでにハーミットパープルを初めて見た時、ジョセフはスタンドを『魂の具現化したもの』と言った。魂を具現化させたものが枯れていくということがどういうことか――考えなくても判る。 タバサが先程張った風のドームがシルフィードの背に乗ったメイジ達をしっかりと捕らえ、空に振り落としてしまうようなことは無い。 だが、空を風竜の出せる限りの速度で『落ちる』恐怖。 「うわああああああああっっっっっ!!?」 二十世紀の地球でも、時速三百kmを超えるジェットコースターは存在しない。 噛み締めようとしても抑え切れない、腹の底から沸き起こる恐怖に耐え切れず叫んでしまうことで、ギーシュを臆病者呼ばわりすることは出来ない。 キュルケはこの高速落下の恐怖を味わう前に、精神力を使い果たしていた所にワルドを倒したのを見届けた安堵で気が緩んだことで、幸運にも気絶していた。 故に悲鳴を上げたのは、ギーシュ一人だけだった。そのギーシュも数秒も持たない内に恐怖が思考を塗り潰し、意識を手放したのだが。 ウェールズは波紋で気を失ったままで、タバサはこの程度の速度は慣れたものとばかりに力強く手綱を握り締めている。 ルイズは、叫ばなかった。それどころか、瞬き一つもしまいと見開かれた両眼で落ちていく先を見据えていた。 (――ジョセフ!) 雲の隙間を縫うように空を降り、岬から切り離された瓦礫を恐ろしいスピードで追い抜いていくのにも構わずほんの僅か前まで茨が伸びてきた元を見つめていた。 これだけの猛スピードで追いかけても、岬が落ちてからスタートを切るまでに絶望的な時間が経過しているのは理解できている。 アルビオンが何故空に浮くかは誰も知らない。ニューカッスルの岬も大陸から切り離されれば遥か下の大地目掛けて落ちていった。 しかし、城が先端に建つほどの質量と面積を持った岬は、空気抵抗を大きく受ける。それに加えて元より空に浮いていた大陸の一部だった岬は、気休め程度ながらも重力に逆らうかのように落下速度に幾らかのブレーキがかかっている。 だからこそタバサは逡巡すら惜しんでシルフィードを降下させた。 ルイズとタバサ、二人の目には光度は違えど同じ輝きが灯っていた。 その輝きは、『何としてもジョセフを救う』という意思の輝き。 今もなお左目を占めるジョセフの視界を睨みながら、ルイズは唇を噛んだ。 待っていなさいよ、ジョセフ――アンタは私の使い魔なんだからっ。 私の手の届かない場所になんか、行かせないんだから! * ワルドを撃破したジョセフの左目は、ジョセフ本人の視界に戻った。 ルイズから差し当たっての危機が去った事を把握したジョセフには、既に波紋を練れる呼吸もスタンドパワーも、何も残っていない。 ハーミットパープルを維持する事すら出来なくなったジョセフは、落下し続ける地面に力なく倒れた。 「……もうタネも仕掛けも何も無い……今度こそ本当にな……」 落ちていく岬の上に伏せるというのも奇妙な話だが、下から吹き上がる大気の奔流は巨大な岬が受け止めていた。奔流は岬の下を潜り、側面から上へと抜けている。 その為、地面に倒れたジョセフは大気の渦に捕われる事は無かったのだった。 「相棒」 まだ左手に握られたままのデルフリンガーの声に、ジョセフは掠れた声で答えた。 「……おうデルフよ……。せっかく六千年ぶりに会ったのにここでおさらばっぽいなァ……お前はもしかしたら地面に落ちても耐えられるかもしらんが、わしはちょっち自信ねェもんでな……」 こんな時でも軽口を忘れないジョセフに、デルフはからからと笑った。 「なーに、気にすんな相棒。六千年は確かに長かったが、また会えたのは確かだからよ。もうしばらくつまんねえ時間を過ごせばそのうちまた会えるってモンだろ」 「そう言って貰えりゃ気も楽ってモンじゃ……」 ごろり、と大の字に寝そべったジョセフは、無言で空を見上げた。 「あー……心残りがけっこーあるんじゃよ……わしを見取るのが喋る剣一振りっつーんがなァ……」 「なんだい俺っちだけじゃ不服なのかよ」 「そりゃーあよォ……せっかく頑張って五十年連れ添った妻とか可愛い娘とか口が悪い孫とか生意気な孫に恵まれたのに、誰にもわしが死んだって伝えられんのはなァ……」 ハルケギニアに来る前。承太郎に、帰らなければスージーには死んだと伝えろと言ってこちらに来た。あの時こそは死を覚悟していたが、魔法が実在する奇妙な世界に居着いた今では心残りも多々ある。 可愛い主人や友人達を守り切れた、その事実には満足できる。 だが、それでも。 「せめてな……わしの好きな連中にゃ、笑っててほしいんじゃ……。わしの好きな連中を悲しませる理由が、わしがいなくなったからと言うんはなァ……それは、とても――寂しいことじゃろう……」 ジョセフは、寂しげに笑う。 そんなジョセフに、デルフリンガーは聞いてみた。 「――なぁ、相棒よ。相棒は自分が死ぬのは怖くないのかい?」 力尽きたジョセフの口から漏れるのは、恐怖の叫びでも後悔の言葉でもなく。ただ、自分が遺す事になる人々を心配する言葉ばかり。 剣として、無数の戦場で無数の命の終焉を見届けてきたデルフリンガーは、ジョセフのような潔い最期を迎えようとする人間を見たことは何度かはある。 だが、その何度かの例外の他、何千倍もの末期の言葉は、死への恐怖や後悔の言葉。 圧倒的に数少ない例外の中でも、ジョセフはあまりに落ち着いていた。 これからどれだけの長い間、つまらない時間を過ごすのかは判らないが、せめて何百年かの慰みに。この誇り高くしみったれた老人の言葉を聞いてみたくなったのだった。 「そりゃ怖ェに決まっとるじゃろ」 即座に返ってきた答えに、デルフリンガーは質問したことをちょっと後悔した。 「でも今更何が出来るよ。わしゃやるだけのことはやったし……ルイズ達を救うことも出来た。やるべきことも出来なくて、ルイズ達を助けられなかったんじゃあない……そんだけ出来たらまァ、上出来ってモンじゃろうよ……」 「そうか」 しかし続けられたジョセフの言葉に、デルフリンガーは鞘口を鳴らして頷いた。 ジョセフは、一瞬だけ沈黙し。か細い声で言った。 「……わりィ、もうそろそろわし眠いんじゃ……ちょっと、ちょっと寝かせてくれ……」 「ああ、悪かったな。じゃあゆっくり、寝てくれよ」 デルフリンガーの軽口に、返事は、無い。 ――竜が、そこに辿り着いたのはそれから僅か数秒後の事だった。 * ハーミットパープルが伸びてきた先を辿るのは、難しいことではなかった。 ほんの数秒前まで雄雄しく伸びていた茨は消え去っていたものの、どこから伸びてきたかは頭に入っている。 ハルケギニアの大地さえも視界に入る中、シルフィードは岬に追い付いた。 岬の上に見えたのは、力無く地面に横たわるジョセフの姿。 シルフィードは落ち行く岬に追い付き、翼を目一杯広げてスピードを急激に殺し、地面に着陸する。 例え既に事切れているにせよ、ジョセフをこのまま岬に叩き付けさせる訳には行かない。 置いていこうとしても、ルイズが自ら駆け寄って引き摺ってでもジョセフを連れてこようとするだろう。 だからタバサは、迅速にジョセフを回収する為に魔法を唱えた。 ジョセフは随分と大柄ではあるが、トライアングルメイジのタバサが操る風を用いればさしたる苦労も無く体を持ち上げられる。 「く……」 だがたったそれだけの魔法を完成させただけで、タバサの意識は揺らぎ、僅かながらも彼女の表情を歪ませる。 しかしジョセフを無事に引き寄せることは出来た。 「ジョセフっっ!!」 自分の前にジョセフを運ばれたルイズが名を呼んでも、ジョセフは身動ぎの一つもしない。シルフィードの背に横たわったまま―― 「ジョセフ!! ジョセフ、ジョセフ!?」 何の反応も無いジョセフへ抱き付くように縋り付いたルイズが必死に名を呼んで身体を揺さぶるが、ジョセフは主人の呼び掛けに何の答えも返すことは無い。 風のロープで掴んだジョセフをルイズの元へ届けるが早いか、魔法を解いて額の汗を拭った。 「……飛んで。全速力で」 すぐさま言い放つタバサの命令に、シルフィードはきゅいきゅいきゅいとけたたましく鳴いて不満を表明する。 いくら風竜と言えども、徹夜でこき使われた挙句空中戦を繰り広げたり落ちる岬に追い付く為に無理矢理な加速をさせられたりしていれば、身体にガタも来る。 竜使いの荒い主人に使い魔が懸命に抗議するが、当の主人はにべも無く答えた。 「貴方が飛ばないと私達が死ぬ」 端的に現状を突き付ける涼やかな声に、諦める寸前の慰みにきゅいー!と声も限りに叫んで、大きく広げた翼に風を受けた。 そして、シルフィードが力の限り岬から離脱した十数秒後。 ニューカッスル岬は、ハルケギニアに激突し、大陸を大きく揺らした。 高く聳える山脈を打ち砕く爆音と、空まで巻き上がる土煙が背後に発生する一大スペクタクルにも、竜に乗った若いメイジ達が頓着することはほぼ無かった。 ウェールズとキュルケとギーシュは今だ気を失ったままだし、ルイズはそんな些事に気を取られている余裕などない。 唯一の例外が、意外にもタバサだった。 ガリアの山脈が大きく形を変えた瞬間を目撃したタバサは、雪風の二つ名を受ける平静な表情を保つ事さえ忘れて、首ばかりか身体も後ろへ捩って大きく目を見開いていた。 タバサは若いながらもこれまでに様々な経験を積んできたが、これほどまでの劇的な情景を目の当たりにしたのは初めての事だった。 (……もし、彼の力があれば……) 自分が渇望する結果に辿り着くのも、ジョセフの知謀が加われば今すぐにも成就できるかもしれない。 だが、その肝心のジョセフは主人の声に応えることもない。 普段の高慢さをかなぐり捨てて懸命にジョセフの名を呼ぶルイズの姿もまた、彼女を良く知る者達が見ればその目を疑うことだろう。 ピンクの髪を振り乱し、鳶色の両眼を見開いて、小さな手で大きな身体を揺さ振り、喉も枯れよとばかりに声を張り上げる。 「ねえっ、起きなさいよ! アンタ、私の使い魔なんでしょ!? アンタご主人様の言う事が聞けないの!?」 だがジョセフは何の反応も見せない。 ただ力なく竜の背に倒れているだけだった。 「アンタっ……バカじゃない!? 元の世界に帰らなくちゃいけないんでしょ!? 自分の家族に会わなくちゃいけないんでしょ!? こんな……こんなこと、で……!」 大きな目に、涙が溜まっていく。 「私……! ただアンタに迷惑掛けただけじゃない! たくさん助けてもらったのにっ……私は何も出来ないままで……こんな、こんなのって、ないわ!」 自分が使い魔の召喚に成功しなければこんなことにならなかった。 自分がやったことは、戦いを終えて故郷に帰るはずだった老人を無理矢理異世界に連れてきて、こき使って、殺したというだけのこと。 ルイズの頬を伝う涙は、ぽたぽたとジョセフの頬に落ちていく。 「ジョセフ……! ジョセフ、ジョセフぅっ!!」 悲しみ、怒り、憤り、不甲斐なさ。 ネガティブな感情を大量に混ぜ合わせた衝動に突き動かされ、ルイズは物言わぬジョセフの身体に縋り付いて声も限りに泣き叫んだ。 「えーと」 しばらくルイズが泣いていた所、今まで黙ったままのデルフリンガーが、かちりと鞘口を鳴らした。 「盛り上がってるトコ悪いんだけどよぉー」 普段軽口ばかり叩いてるデルフリンガーにしては珍しく、多少決まり悪げな物言い。 「相棒、生きてるぜ」 ぴたり、とルイズの泣き声が止んだ。 「マジマジ。ピンピンしてる」 ルイズはとりあえずジョセフの鼻を摘んでみた。 ふが、と眉を顰めたジョセフは顔を振って鼻から手を放させた。 「そりゃーアレだろ、立ち回りはするわ徹夜で働くわ波紋は練れないわスタンドパワーは使い果たすわで疲れて眠らない方がおかしいって話だろーよ」 首を横向けたジョセフは、気道の位置が変わったせいか小さくいびきをかき始めた。 「それにしてもアレだな。死んだように眠るってのは正にこのことだーな。確かに勘違いしちまうのはしょーがないかもしれねーが、それでもあれはないわ」 ルイズは何も言わず、ジョセフの腰に下がったままの鞘を手に取るとデルフリンガーを収めて黙らせた。 袖で涙を拭いてから、じっと自分達の様子を伺っていたタバサを見やった。 「……ユニーク」 まるで何事も無かったように呟くタバサに、ルイズの耳は真っ赤になった。 「み、みみみみみみみみみ見たの?」 「見てしまった。けれど他言する必要性はない」 普段通りに感情の見えない淡々とした口調の中に、ルイズは微かな笑みが見えたような気がした。 だがそれは自分の気のせいだ、と無理矢理自分の中で結論付けて、大きく息を吸った。 「ま、まあこれくらいで死んじゃうような使い魔じゃないとは思ってたわよ! だって私の使い魔なんですもの!」 「そう」 懸命に言い繕うルイズへ興味なさげな返事をしたタバサは、続いてウェールズに視線をやった。 「ジョセフ・ジョースターと打ち合わせていた事がある。このまま皇太子を王宮に連れて行くわけには行かない」 タバサの言葉に、ルイズは声を張り上げた。 「なんでよ! 姫様に皇太子殿下をお会いさせなきゃならないじゃない!」 「魔法衛士隊の隊長が裏切り者だった今、下手に王宮に連れて行くのは利敵行為。他に内通者がいるのは火を見るより明らか。それこそ戦争の口実を向こうに与えることになる」 至極もっともな言葉に、ぐ、と言葉に詰まるルイズをよそに、タバサは淡々と言葉を続ける。 「だから今から学院に向かう。ミスタ・オスマンに頼んで皇太子を匿ってもらう、というのが彼の考え。学院なら人目に付くこともないし警備も整っている」 そこまで言ってから、タバサは手綱を握り直して前を向く。 必要最低限の事柄を伝達すれば後は何も言わない素っ気無さに、何よ、と小さく口を尖らせるが、それ以上は何も言わない。 強い風が頬を撫でる中、ふぅ、と小さく息を吐く。 竜に乗っている六人のうち四人が意識を失っており、意識がある一人のタバサはシルフィードの手綱を握って前を見ている。 残る一人のルイズは、気持ちよさそうに熟睡しているジョセフの頬を撫でた。 「……ばっかみたい。よくよく見たら普通に寝てただけじゃない」 心配かけて、と使い魔の額を指で弾くと、ジョセフはまた少し眉を顰めて小さく首を動かした。また気道の位置が変わったせいか、いびきは止んで静かな寝息に変わる。 こんな無防備な寝顔を見ていると、とても王様を騙してメイジ達をこき使って岬を落とし、挙句の果てに皇太子殿下まで騙して無理矢理連れてきている張本人とは思えない。 思えば姫様の命を受けてからたった数日の間に色んな事があった。 アルビオンを滅ぼした裏切り者達、初恋の人の変貌と裏切りと……かつてワルドだった人間を、自分の手で倒した事。 色々姫様に伝えなければならないこともある。 それでも、今は清々しい気持ちが胸を満たしていた。 空は抜けるように青く、髪を後ろへ流す髪は心地よく涼しい。 ふと、ジョセフを見下ろす。 召喚した時からずっと被っていた帽子はなくなって、白髪が露になっている。あの薄汚れた帽子は空を落ちる中で飛ばされてしまったらしい。 「……御褒美に、新しい帽子を買ってあげなくちゃ……」 たおやかな手でジョセフの頭を撫で。とくん、と胸の中が強い鼓動を打つ。 吐息が、熱い。 唇がそう感じたと思った。 その時、ルイズは自分が何を思っているのか、自分でも理解できていなかった。 だからかもしれない。 静かに目を閉じて身を屈めたルイズの唇が、ジョセフの唇を掠めるように触れた。 時間にすれば、一秒少しのこと。 ルイズがうっすらと目を開けたその時、ジョセフの顔が占める視界に、バネでも仕込まれていたかのような勢いで身を起こし、慌てて周囲を見た。 だが今もまだ友人達は気を失ったままで、タバサは前だけを見ていた。 今の衝動的なキスを見た人間は誰もいない。 ジョセフも、やはり変わりなく規則的な寝息を立てている。 (……何) ルイズは、火が燃えているかのように思える自分の顔を両手で覆う。 (私、今、何をしたの) その中でも、唇が一番熱いように思える。 ジョセフと微かに触れたそこだけが、とても、熱く。 (何を、考えてるの) ふるふるふる、と首を振る。 (ジョセフは使い魔で……平民で……孫がいて……お父様より、年上なのよ) 最初は、契約の為のキスだった。 二回目は、錯乱した自分を落ち着かせる為の強引なキスだった。 三回目は。謎の衝動に突き動かされた、キスだった。 (そんな。そんなの、ダメよ) 否定したい。否定しなければならない。でも、否定、出来ない。 (何、何よ……どうして、こんなにドキドキするの……) 今まで生きてきた中で、これほど心臓が激しく動いたことなどない。 息苦しくて、胸が痛くなるほどの鼓動の中、ルイズは懸命に自分の中に芽生えた感情を拒否しようとする。けれど、ルイズは既に理解していた。 (――私は……ジョセフのことが―― ) 信じられないし、信じたくもない。 この気持ちが果たして本物なのか、そもそも貴族の娘である自分が抱いていいものなのかすら。今のルイズには判断し辛いものだった。 だが、それでも。 彼女を中から打ち破りそうな胸の鼓動は、確かにあって。 ジョセフ・ジョースターの体温を感じて安心している自分がいて。 ジョセフが死んだと思った時、人目も憚らず泣いた自分が、いたのだ。 小さい頃にワルドに抱き抱えられた時も、ワルドが変わってしまったのを思い知らされた時も、人ではなくなったワルドに引導を渡した時も、こんな風にはならなかった。 理性も感情も、とっくに答えを出している。 けれども、それを認めてしまうのは……使い魔だとか平民だとか老人だとか、そんなのを抜きにしても。 (――私は……ジョセフのことが――好き) ああ、と声を漏らし、両手で自分を抱いて俯いたルイズの表情は誰にも窺い知る事が出来なかった。 第二部 -風のアルビオン- 完
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戦いの決着が付いてから数秒が経って、やっとメイジ達は正気に戻った。 トリステインの魔法衛士隊の隊長を務めるスクウェアメイジが、四体の遍在を駆使してなお惨敗と言う言葉さえ生ぬるい敗北を喫したのを目撃したばかりでなく、それを成し遂げたのが杖の一つも持たないただの平民の老人であるという事実を受け止めきれない者も少なくない。 しかしそれでも、アルビオン王国有数の精鋭であるメイジ達は、一斉にジョセフへと杖を向けた。 この状況で真実が把握できない以上、騒動の中心にいた者達をまとめて捕縛するのは至極真っ当な思考であるからだ。 ジョセフもまた、それを理解しているからこそ。「うぉーい! 俺の! 俺の見せ場が!」と騒ぎ立てているデルフリンガーを取りにいく素振りすら見せず、悠然と両手を挙げているだけだった。 「夜分お騒がせして申し訳ない、ニューカッスルの皆様方よ! 事情はわしではなく、わしの主人、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが説明する! すまんが誰か主人を介抱してくれんか!」 抵抗の意思はないと判断した数人のメイジが、ルイズに駆け寄り応急手当てを開始する。 ウインドブレイクで吹き飛ばされて地面を転がされたルイズだったが、気は失っているが特に重傷を負ったというわけではないようで、メイジ達の様子に切羽詰ったものがないのが見える。 ジョセフは安堵の息をついて、警戒を弱めず自分に近付くメイジ達を眺めていたその時。 「待て! 彼らの身柄は私が預かろう!」 中庭に響く凛とした声に、その場にいた全員の目がそちらに向いた。 そこに現れたのは、ウェールズ皇太子と、キュルケ、タバサ、ギーシュ達だった。 この場で最も地位の高い王子の言葉に、メイジ達にざわめきが広がる。 「お待ち下さいウェールズ様! まだどのような事情があるのか把握できておりませぬ! ここは我々が――!」 一人のメイジの言葉にも、ウェールズは平素の悠然とした笑みを崩さずに言った。 「実は少し前にここに着いていたのでね、ヴァリエール嬢が貴君らの前に立ちはだかった直後から今までを見せてもらった。あの一連の光景を見て事情を察するべきではないかな、高貴なるアルビオン王家に仕える者としては」 にこやかに言うウェールズに、部下達はそれ以上食い下がることは出来なかった。 自分に反論がないのを見届けると、纏っていたマントを翻し、高らかに宣言した。 「彼らの身柄はこのウェールズが預かる! 貴族の風上にも置けぬこの裏切り者を捕縛し、地下牢に放り込んでおけ!」 ワルドを捕らえる様部下に命じてから、ジョセフへと鷹揚に近付いていく。キュルケ達も、メイジ達の視線を受けながら三者三様の様子でウェールズの後ろを付いていく。 「いや、すごい戦いだった。君のような戦士がもう少し早くアルビオンに来てくれれば……というのは、ただの願望だね」 警戒を全く見せず、平素の表情を見せるウェールズに、ジョセフはほんの少しの苦笑を浮かべて言葉を返す。 「宜しいのですかな、殿下。私がもし殿下を狙う暗殺者であったなら、最早この時点で殿下のお命は……」 「本当に私を殺す気がある者は、私にその様な忠告などしてくれないものだ。それに御老人にはいい主人といい友人がおられる。あの爆発音が聞こえて泡を食ってここに駆けつける最中、君の三人の友人達が懸命に事情を説明してくれた。 それを信じられぬほど、私の心は曇っていないつもりだが。それにあの貴族の鑑たるヴァリエール嬢を片や傷付け、片や傷付けられ憤る。どちらに義があるか、という話だ」 「聡明な判断に舌を巻くばかりですな。多少無警戒かと思いますが、こちらとしては都合がよいことでして」 それからジョセフは、ウェールズの後ろにいる三人の友人達に、普段と変わらない笑みを見せた。 「すまんな三人とも。王子様にあの部屋にいてもらうワケにゃーいかんかったので、ちょいとウソをついちまった」 その言葉に、不服そうな顔をしたのはギーシュだけだった。キュルケはいつも通りにあっけらかんと笑ってジョセフに答える。 「いいのよ、ダーリンが何かやろうと仕組んでる時の顔くらいもう判るわ。とりあえずルイズを起こしてあげなくちゃならないんじゃない?」 ジョセフ的にはチラ見程度のつもりだったが、周囲には気になって気になって仕方ありません以外の何物でもない視線の向け様で気絶したままのルイズを見ていた。 「おう、んじゃ行って来る」 さっとルイズへ小走りに向かうとメイジ達からルイズを受け取り、緩やかに波紋を流す。 僅かな間を置いて、小さな寝息のような声を立ててルイズの目が開いた。 まだ夢に片足入れているような表情で、自分を抱いているジョセフを見上げ。何かを言おうと口を動かそうとするが、何を言っていいのか判らず、困ったような悲しい顔で、それでも何かを言おうとするルイズの頭をそっと胸に抱いた。 「いいんじゃ、いいんじゃよ。今は何も言わんでいい。わしが守ってやるからな……」 「…………!」 平素の彼女なら、貴族の誇りや意地っ張りが邪魔してジョセフの脇腹にチョップを入れて適当に悪態を付いてジョセフの腕から離れていただろう。 だが、幼い時からの憧れであり婚約者であったワルドが醜い裏切り者で、何の躊躇もなく自分を殺そうとした殺人者で。 ルイズを守護し庇護するジョセフに縋り付いて、沸き上がる感情のままに泣き出さなかったのは、せめてもの彼女のプライドだった。 しかし、使い魔のシャツがたわむくらい強くつかんで、頭を強く胸に擦り付けることで、泣き出しそうになるのを懸命に食い止めていた。 その姿を見下ろすジョセフが何の思いも抱かない訳がない。 高慢でプライドばっかり高くて小生意気な主人が、人目があるこの状況で自分に縋り付いて感情を爆発させるのを堪えている。 この引き金を引いたのはワルドだ。だがそのワルドに引き金を引かせるべく銃を渡した張本人……レコン・キスタに、ジョセフの怒りが向けられないはずはない。 ピンクのブロンドの上から子供をあやすように背中を軽く叩いてやりながら、地面に落ちたデルフリンガーに歩いていって鞘に収めると、律儀に自分達を待っていたウェールズ達の元へと歩いていく。 その僅かな歩みのうちで、ジョセフはこれからの計画を全て築き上げていた。 「それにしても」 ウェールズは普段の朗らかな笑みの中に、少なからぬ自嘲の色を滲ませて呟く。 「それにしても、レコン・キスタは……よもや誉れ高きトリステイン王国のグリフォン隊隊長まで手中に収めるとは。なるほど、これでは我がアルビオン王国もあれほどまで容易く滅びに進まされた訳だ」 重いため息をついて双月を見上げるウェールズに、ジョセフは緩く首を振った。 「向こうの手練手管に絡め取られたのは事実、じゃがこのまま手をこまねいとれば、トリステインも二の舞を踏むことは判り切っておる。幸い、まだアルビオン王国に時間は残されておる。 アルビオン王家の滅亡を止める事は最早出来んじゃろーがッ。一つ、この老いぼれの戯言を聞いてみる気はありませんかな、殿下?」 ルイズを腕に抱いたまま、帽子の下からニヤリと笑った顔をウェールズに向けた。 明日には亡くなる国とは言え、ウェールズはれっきとした王家の皇太子である。ここで平民の老人の戯言など聞く道理などない。が、アンリエッタのいるトリステインの話を持ち出されれば話は違う。 「いいだろう、スヴェルの月夜だと言うのに随分と騒がしく眠気も覚めてしまった。一つ、夜話ついでに聞かせてもらえないだろうか」 ウェールズの興味を引いた時点で、ジョセフの計画は成ったも当然だった。 口の端を不敵に吊り上げたまま、ジョセフは友人達へ視線をやった。 「それでは、わしの主人と友人達にも同席をお許し頂きたいんですが構いませんかな?」 「ああ、大歓迎だ。それでは……ホールに行くとしよう。私の部屋は客人をもてなせる部屋ではなくなったようだからね」 苦笑を浮かべるウェールズに、ジョセフはいつも通りの悪戯めいた笑みを見せる。 「宝石箱だけはわしの部屋に何故か避難しておりました。何とも不思議なことですな」 その言葉に、一瞬ウェールズのみならずルイズ達も動きを止めた。 「アっ……アンタ何してくれてるのよぉーっ!!」 腕の中から上がったキンキン声に、ジョセフも思わずのけぞった。 王子の部屋に忍び込んで殺傷能力の高い爆弾を仕掛け、ついでに宝物を拝借する平民。何の情状酌量もなく即刻手打ちになって然るべき大罪である。 しかしウェールズはたまらず笑みを零し、それから弾ける様な大きな笑い声を上げた。 「全く! 出会ってからこの方一本取られてばかりだ! しかも私の命を救い裏切り者を誅しただけでなく、私の大切なものまで守ってくれるとは!」 こみ上げる笑いを堪え切れないまま、ウェールズはルイズに向き直った。 「ミス・ヴァリエール」 「は、はい!!?」 思わず声を裏返らせてジョセフの腕の中で固まるルイズに、皇太子は愉快さを隠しもせずに言った。 「君の使い魔殿は全く以って痛快だな! 羨ましさばかりが先に立つ、大切にすべきだ!」 「言われなくてもご覧の通り、とっくにダーリンにメロメロですわよ殿下」 その様子をチェシャ猫の様な楽しがるだけの笑みで口元に手を当てるキュルケの言葉に、ルイズが毅然と反論を試みた。 「ななななな何をねねねねねね捏造ししししししてくれてるのかしら!」 「君はとりあえず落ち着くべきだ」 この騒ぎも何処吹く風で読書を続けるタバサの横で、見かねたギーシュが呆れ顔でツッコミを入れた。 そのままの賑やかさを維持したまま、つい数時間前まで華やかなパーティが行われていた大広間に到着する。パーティの片鱗すら感じさせぬほど整然と片付けられたホールは、最後の務めとなる明朝の食事を待つだけだった。 全員が一卓のロングテーブルを囲んで座ると、ジョセフは企みを含んだ楽しげな笑みを自重しようともせず、広いホールに集まったたった五人の観客をぐるりと見やった。 「さてお集まりいただいた善男善女の皆々様、少しの間老いぼれの戯言に付き合ってもらうとしますかなッ」 それからジョセフのプレゼンテーションが開始された。 最初のうちこそ、メイジ達は「愉快な使い魔の一芸」を観覧するかのような気楽さで聞いていた。 しかしジョセフの説明が進んでいくに連れ、メイジ達の両眼には誰の例外も無く驚きの色が色濃く積もっていく。 タバサでさえ本から目を離し、驚きを隠さない目でジョセフを見つめるほどだった。他の面々は、言うまでもない。 さしたる時間も経たないうちに、ジョセフは五人のメイジ達の顔にただならぬ真剣さを帯びさせる事に成功していた。 「――とまァ、大体こんな感じかの。わしの見立てではこれで明日、レコン・キスタの連中に目に物見せてやれる。ただ手は幾らあってもいいんでな、わしの敬愛する主人と友人達にも助力を願うことになるんじゃが」 そのへんどうよ、とジョセフがルイズを見れば、信じられないと雄弁に語る瞳孔の開いた両眼でジョセフを見返していた。 「……それが本当なら、私達に断る理由なんてないわ。でも信じられないわ、そんな事が本当に出来るの!?」 大きく頭を振り、ジョセフが語った言葉をもう一度頭の中で繰り返すルイズ。 「わしの住んでた国ではけっこーオーソドックスな手段でな。非常に手軽で安価で便利じゃ。効果の程はわしが保証する」 「ジョジョ! 理屈は判った、でも問題は多い! 明日の決戦……確か正午だったか、それまでに本当に準備できるというのか!?」 ギーシュもまた、荒唐無稽としか思えないジョセフの言葉を信じ切れずにいた。 「なーに、このニューカッスルには三百のメイジと三百の使い魔がおる。まー多少時間は厳しいかもしれんが、問題ない」 「……でももっと大きな問題があるわ、ダーリン」 そっと手を上げたキュルケが言葉を繋げる。 「ダーリンをよく知ってる私達でさえ、今の話を信じ切れてないわ。そんな話を、どうやって他の貴族達に信じさせるというの?」 至極尤もな言葉にも、ジョセフは想定内の質問とばかりにニヤリと笑った。 「なァ~~~~~に、そんな初歩的なコトをこのジョセフ・ジョースターが考えてないワケがないじゃろ。まーァ見ておれ、ここで一つわしがいいモンを見せてやろう。 ただそれにはちょいと杖を貸してもらわなくちゃならんのと、今すぐに国王陛下にお目通り願わなくちゃーならんがなッ。このジョセフ・ジョースターの真骨頂を是非披露したくはあるんじゃが~~~~~」 そこで一旦言葉を切り、チラ、とウェールズ達を見る。 全員今にもエサに食いつきたくて仕方がないが、果たして本当に食いつくべき代物なのか悩みに悩んでいるのが手に取るように判る。ジョセフはそこで満を持してとどめの一言を放った。 「ま、どーせ信じろって言われてもムリな話じゃし。大人しくわしらはシルフィードに乗って帰るほうが無難じゃわなー」 こくり、と唾を飲んだ音が聞こえ。次の瞬間、バネでも仕掛けられたように勢いよく立ち上がった人物に、全員の視線が集まった。 「どうせ明日までの命だ、今夜以上に痛快な光景が見られるというのなら……!」 全員……いや、ジョセフ以外の視線は、驚愕。 してやったり、と笑うジョセフに、ウェールズは意を決して笑い返した。 「アルビオン王家の王子として約束しよう、今すぐにでもアルビオン王への謁見を許すと!」 六人で使うには余りに広すぎるホールに響く、皇太子の言葉。 「グッドッ!!」 68歳とは到底思えない満面の笑みにウィンクまでつけてサムズアップし、それからルイズ達に向き直る。 「さぁ、後は杖だけじゃな! さぁさぁ、このジョセフの口車に乗ってみせる向こう見ずはどこにおるッ!」 「いいわッ! 本当なら絶対、ぜぇぇぇぇぇぇったい触っちゃいけないモノだけど! 私は、私は!」 突き出された杖は、ルイズのそれだった。 「ジョセフ……自分の使い魔の本領とやら、主人として確認しなくちゃならない義務があるわッ!!」 ジョセフに向けて揺ぎ無く杖を突き出すルイズ。 その光景に、ルイズの同級生である三人は一様に驚きに捕われた。 メイジにとって杖とは、自分の誇りを示す証と言っても過言ではない。 そんな貴族の中でもプライドが恐ろしく高いルイズが、例え自分の使い魔と言えども平民に自分の杖を渡すなどとは想像だにし得なかった。 ジョセフの手が、まるで女王から授与される勲章を受け取るかのような恭しさで杖を受け取ったのを見届けると、自分の杖に掛かっていた手を離し、キュルケは愉悦を隠さずに言い切った。 「どうやら、このスヴェルの月夜は有り得ない事ばかり起こるらしいわねっ! ここを見逃したら一生悔やんでも悔やみ切れないことだけは判ったわ!」 断言したキュルケは、有無を言わさずタバサの手を取った手を上げた。 タバサも手を上げられたまま、小さくこくりと頷く。 自分以外が異様なテンションになっているのを見たギーシュは、おろおろと全員を見渡すが、最後には迷いや恐れを振り切り、叫んだ。 「ええい、こうなったらヤケだ! 僕も乗ればいいんだろう、ジョジョ!」 「そうじゃな、そうじゃなくっちゃなァ!!」 楽しくて仕方がない、と力一杯主張する笑みのまま、椅子から立ち上がった。 「さーあ、ここからわしのオンステージになっちまうワケじゃがッ。今から起こる事ははわしの友人達だからこそ見せておきたいモンじゃからなッ。しーっかり見といてもらわなくちゃ困っちまうぞ!」 自信満々に言ってのけるジョセフは、何が起こるかは言うつもりがないらしい。蓋を開けてのお楽しみ、と言う事を察したメイジ達は、一体これから何が起こるのか、大きな期待と多少の不安を胸に抱いたまま、ジェームズ一世の寝室へと向かうことになった。 ジェームズ一世には深夜の突然の訪問は堪えるようであった。 訪問してきたのが息子でなければ断っていただろう。 魔法のランプでほのかに灯された寝室の中、やっとの思いで半身を起こしたジェームス一世のベッドの傍らに、メイジに混じってとは言え平民の老人が跪いているのは、ある意味奇跡と称して良い光景である。 「何の用じゃ、トリステインからの客人達よ」 立ち上がるだけでさえよろめくような老いた王の声は、決して雄雄しいものではない。 「用の前に一つ。面白いものをご覧に入れましょう」 す、とジョセフが立ち上がり、杖を持ったまま寝台に近付く。 微かに聞こえる奇妙な呼吸音が波紋呼吸だと理解できたのは、ルイズ達魔法学院の生徒だけであり、王と王子にはそれが呼吸の音だとはすぐに理解は出来ない。 それからジョセフの口から呪文めいた言葉が流れるが、誰もその呪文が何なのか理解できない。それもそのはず、ビートルズの「GetBack」の歌詞を口ずさんでいるだけである。 それと同時に呼吸で練り上げられた波紋はジョセフの体内を駆け巡り、薄暗い寝室に太陽を思わせる光が灯っていく。 体内に巡る波紋を少しずつ右腕に集約させ、右手に凝縮し、杖に乗せ―― 「ちょっとだけ! 深仙脈疾走!!」 ボゴァ! と迸る音と共にジェームス一世の腕に当てられた杖から凄まじい勢いで流れ込む生命エネルギー! 「お、おおおおおおおお!!?」 ジェームス一世の全身から噴き出た波紋の残滓が、寝巻きを容易く引き裂く! 「な、何を!?」 何が起こるかを説明されていない一行は、王に起こった異変に息を呑む。 しかしそれもほんの瞬間の事。波紋の光が消えた部屋の中、ジェームス一世はくたりと首を俯かせて深く息を吐いた。 「さあ陛下、お手を」 ジョセフが差し出した手に伸ばされた手は、年老いた枯れ木のような手ではなく。若々しい生気に満ちた力強い手だった。 それだけではない。破れた寝巻きの狭間から見える肉体も往年の若さを取り戻していた。 「お、おおおおお……」 王の口から漏れる声すら、パーティで見せたような老いを微塵たりとも感じさせない。 自らの身体に起こった変化が信じられないながらも、ジェームス一世はあれほど難儀していたベッドから降りるという作業を、何の苦も無く行えた。その事実に、目を見開いた。 「こ、これは如何なることだ!? 一体、何が朕に起こったというのだ!?」 誰の助けを必要ともせず、両の足だけで支えられた身体を夢幻ではないかとひっきりなしに視線を走らせる王に、ジョセフは恭しく跪いた。 「失礼ながら、王にこのジョセフ・ジョースターの操る系統の片鱗をお見せしただけに過ぎませぬ」 「系統? 朕が知る四大系統の魔法に、この様な奇跡を起こす魔法などついぞ知らぬ!」 若さと生気を取り戻した驚きと、ふつふつと滲み出す歓喜に声を知らず張り上げても咳の一つすらする事はない。 ジョセフは不敵に笑って、王を見上げる。 「魔法の四大系統は御存知の通り、火、風、水、土。しかしながら魔法にはもう一つの系統が存在します。始祖ブリミルが用いし、零番目の系統。真実、根源、万物の祖となる系統」 魔法の授業で聞きかじった単語を繋げていかにもそれらしい説明を立て板に水の例えの如く並べ立てるジョセフ。 波紋の力を理解していなければ、ジョセフの口から流れてくる言葉がまるっきりの大嘘だとは誰も理解できないだろう。彼を良く知るギーシュでさえ(ジョジョはまさか本当に虚無の使い手だったのか!?)と考えるに至っていた。 まして波紋を知らないアルビオン王家の親子にとって、それを信じない訳には行かなかった。 「まさか……まさか! 零番目の系統、虚無だと言うのか!」 ジェームス一世は自らの身体に走った波紋の流れを、虚無の力だと誤解してしまった。 ジョセフは跪いたまま、ニヤリと笑って頷いてみせる。 「私はその力を、始祖ブリミルより授かりました。しかしながらこの力は軽々には見せられぬもの。ですがアルビオン王国のみならず他の王家に仇為す反逆者どもの蛮行をこれ以上見過ごす訳には行きませぬ」 いくらジョセフが奇妙な能力に事欠かないとは言えども、ジョセフの親友達は彼の真の能力をまだ見ていなかったことにやっと気がついた。 ジョセフの本領とはガンダールヴの能力でも波紋でもハーミットパープルでもない。 ジョセフの真の能力は、嘘を真実に変貌させるその頭脳と口先! 奇跡を見せ付けられた人間が、奇跡を見せつけた人間の言葉を疑うのは非常に難しい。ただでさえ甘い言葉が、乾いた砂に水を注ぐように王の心を支配していく。 老いたりとは言え一国の王が、平民の言葉を信用し、受け入れ、最後には始祖ブリミルが遣わした使徒であると完全に信用してしまう光景を、若者達は目撃した。 部屋の隅に置かれた水時計は、ジョセフ達が寝室に入ってから出るまでの時間を「23分」と刻んでいた。 後に、数人のメイジの共著により記された本は「23分間の奇跡」と題され、交渉術の秘伝の書として密かに受け継がれていくことになるのだが。 それはまた、別の、話。 To Be Contined →
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「そこでわしは言ってやったッ! 『お爺さん、どうして頭に赤い洗面器を乗せてるんですか』となッ!」 巻き上がる大爆笑。 生徒達だけでなく使い魔達まで大爆笑だ。 授業が終わった後の教室で、ジョセフを囲んでの談笑は今日も非常に盛り上がっていた。 ヴェストリ広場での決闘から数日が経ち、ジョセフを友人と呼ぶ生徒は二桁に達した。 放課後にこうして教室でダベり、特に実りのないバカ話をするのが最近の流行だった。 あの決闘騒ぎは学院中の生徒が見物していたため、ジョセフに面白半分に決闘を挑もうとする生徒も多くなるような気配を見せていた。 だがジョセフの友人となったギーシュとキュルケが「ジョセフに決闘挑んだら次はそいつに私達が決闘挑んでブチのめす」と宣言した。 ジョセフ一人ならともかく、ギーシュもキュルケも学院では有名な実力者である。 特にキュルケはトライアングルメイジ。 そんな腕利き達と決闘を三回やって生き延びられる自信のある生徒がいるわけもなく、ジョセフは決闘の嵐を見事に避ける事が出来た。 よって放課後は誰に気兼ねすることもなく、ジョセフは友人達と他愛もない話に興じていられるのだ。 しかもジョセフは68年もの間、普通の人間より波乱の多い人生を過ごしてきた人間である。 話半分のホラ話と受け止められても、その荒唐無稽さや愉快さは並大抵の吟遊詩人や道化師では足元にすら及ばない。 その評判を聞きつけた生徒が物は試しとやってきて、ジョセフの話術に引き込まれて友人を名乗る事になる……というのが、大凡のパターンとなっていた。 実際、二十世紀中盤のニューヨークで、口先三寸と肝っ玉の太さとイカサマハッタリを駆使してたった一代で不動産王になったジョセフである。 中世レベルの貴族子弟を虜にすることなど、文字通り「赤子の手をひねる」ようなものだ。 だがこの場に、ジョセフの主人であるルイズの姿はなかった。 最初のうちこそ無理矢理ジョセフを引っ張って連れ帰っていたルイズだが、人数が増えるごとに「何だよ面白いところなのに空気読めよゼロ」という冷たい眼差しが強く多くなっていき、今では話が終わるまではさしもの彼女といえども近付き辛くなっていた。 無論、その後での躾と称した八つ当たりはジョセフに向けられるものの、鞭打ちでさえ効く様子がないのでストレス解消にもならない。 ルイズが疲れ果てたところで、「んじゃ洗濯物出していただけますかのォ」などとあっけらかんと言うものだから、主人としての威厳も何もあったものではない。 挙句に二股で悪評高いギーシュやにっくきキュルケからさえ、「ジョセフの扱い酷すぎ、ジョセフが可哀想だ何とかしろ」と苦言を呈されては怒りは溜まるばかりだった。 「だって言う事聞かないんだもの! 私の前では何も本当の顔を見せてくれないんだもの!」 一躍ジョセフの名を有名にした「ヴェストリ広場決闘事件」があったにも拘わらず、ルイズの前での彼は今まで通りのボケ老人と変わりがなかったのである。 しかし彼の名誉のために付け加えるとすれば、正体がバレたジョセフは大人しく今までのボケ老人のフリをやめて、「有能な使い魔」として頑張ろうとしていたのである。 だがルイズには今まで「自分を信用せずにボケ老人のフリをしていたジョセフ」を許せない気持ちと、「平民のクセにメイジのような能力を持っているジョセフ」を妬む気持ち、そして何より「誰からも慕われるジョセフ」が羨ましい気持ちが強すぎた。 だからルイズはジョセフに辛く当たってしまうことしか出来なかった。罰と称して鞭打ち、食事を抜き、更なる雑用を言い付けて。 それがどのような結果をもたらすかは、愚鈍ではないルイズは十分に理解していた。 「ゼロのルイズに、あんな有能すぎる使い魔は勿体無い」。そんな陰口が、新たに聞こえた。 私は図書館で、魔術書を読み耽っていた。でも頭の中には内容は入ってこない。私の使い魔、ジョセフの事ばかりが邪魔して何も頭に入らない。 こんなことなら、使い魔なんか召喚出来なかった方が良かったかもしれない。 二年に昇級するためのサモン・サーヴァントの儀式。 何回も失敗して、失敗して。やっと成功したと思ったら召喚されたのは図体の大きい平民の老人。成功しても結局、馬鹿にされた。 なのに。 馬鹿にしていた平民は、『ゼロ』のルイズよりずっとメイジらしくて。 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールより、ずっと貴族らしい。 何と言う皮肉なのか。 私が欲しくても手に入らなかったものを、ジョセフは最初から全て手に入れていた! しかも手に入れているものを隠して、私を馬鹿にして、笑っていたんだ! 泣いてはダメ、泣いたらどうしようもなくなる。今まであんなにバカにされても泣かなかったのに、あんな、あんなウソツキの為に泣いてたまるか―― でも私は、何度も泣いた。 友人達と楽しげに談笑して、あいつは帰ってくる。そして素知らぬ顔をして、いつも通りにボケ老人に戻るんだ。 ゴーレムを打ち倒し、人の怪我さえ治せるジョセフは私の前には現れないんだ。 どうして? どうして? 私が未熟だから? 『ゼロ』だから? 使い魔にさえ馬鹿にされるメイジなんて、聞いたことない―― 「隣、いい」 不意に掛けられた言葉が、ルイズを思考の迷宮から現実に引き戻した。 そこに立っていたのは、キュルケの隣にいつもいる少女……だがルイズは、名前を知らない。 「別に……、私の席じゃないもの」 潤んだ目を見られないように、顔を背けた。 彼女はそれを了承と取ったのか、ルイズの隣の椅子を引いて腰掛けた。 彼女が椅子に座ったのと入れ替わりに、ルイズは席を立とうとして……彼女に、袖を引っ張られた。 「貴方に、話がある」 その言葉に、ルイズは過剰に反応するようになっていた。 決闘事件から向こう、彼女に話があると切り出してきた人間の話題は決まってジョセフのことばかりだった。 「……何?」 もはや反射的に言葉に棘を含ませるルイズの冷たい眼差しに、彼女はただ静かに視線を合わせるだけだった。 「彼は、貴方に心を見せたがっている」 唐突な言葉。ルイズは、続いて吐き出そうとした言葉を思わず飲み込んだ。 「……何が?」 意表を突かれたルイズは、思わず彼女に問いを投げていた。 「ジョセフ・ジョースターは主人である貴方を知りたいと思っている」 「……あんたに、何がわかるのよ?」 ルイズの心が、逆毛立つ。知ったような顔で知ったような言葉を吐く彼女に、怒りが芽生えた。 「彼はこの学院にいる誰よりも心の中が貴族」 だが彼女は、ルイズの怒りを見ていながら、容易く無視して言葉を続ける。 「彼はきっと、本当に勝ち目がなかったとしてもギーシュに決闘を挑んだ」 彼女は淡々と言葉を紡ぐ。ルイズにとっても同じ思いである認識を。 ジョセフはきっと、全く無力であったとしてもシエスタを侮辱したギーシュに決闘を挑んでいただろう、と。 「でも。貴方が彼を信頼しようとしていないのに、彼から信頼を求めるのは傲慢」 いきなり思ってもいなかったところから、彼女の切っ先鋭い舌鋒がルイズの心臓を狙った。 「貴方の召喚で彼が呼ばれたという事は、きっと貴方というメイジに最も相応しい使い魔が彼だという事。それは否定しない」 ただじっと正面から視線を合わせ、言葉を続ける彼女。 彼女の冷徹な視線に、ルイズは知らず気圧されている気配を感じていた。 「使い魔である彼がカットされたアメジストだとしたら、主人である貴方は掘り出してすらいない原石。使い魔は仕えようとする意思があるのに、主人は仕えさせようとしていない。私にはそう見える」 ルイズは心のままに反論しても良かった。だが今のルイズに、彼女を論破する自信など皆無だった。ただ感情に任せて否定の詞を返すしか出来ないと、自覚は出来ていた。 だからルイズは、ただ口を固く結んで彼女の言葉を聞くしか出来なかった。 「どんなに美しい宝石でも研磨しなければただの石と同じ。アメジストに飾られる石にただの石ころを用意する人間はいない」 つまり。当の主人が仕えさせるに相応しい心構えを持たずに使い魔を拒絶しているから今の状況になっているのだ、と。 彼女はただ、真実だけを指摘していた。 静かな図書室の一角でぽそぽそと紡がれる言葉は、やがて終わりを迎えた。 「――彼は、石ころにアメジストを飾ることも厭わない。けれど石ころに美しいアメジストをあしらった貴方を、貴方は果たして許せるのか。私はそれを問いたい」 ジョセフはそれでも無能な主人にただ傅く事を選びもする。だが果たして、主人たる資格や義務も見せようとしないルイズは、傅かれているだけの自分を許せるのか。 ただ嫉妬や憤りをぶつけて憂さを晴らしているだけの存在でいることを許せるのか? 彼女の無表情な瞳は、強く強く、そう問いかけていた。 ルイズは、下唇を痛いほど噛み締めて。搾り出すように、たった一言呟いた。 「……あんたに、何がわかるって言うのよ」 そう言ってから、彼女の返事を待たずに駆け足でその場を去っていった。 「おーいタバサー。そろそろ夕食だから晩御飯食べに行くわよー」 『図書室では静かに』と書かれた張り紙の前で遠慮なく大声を出して友人に呼びかけるのは我らが『微熱』のキュルケ。 声をかけられた「友人」であるらしい彼女は、つい先程までルイズに言葉を掛けていた時とは違い、ただ無言で本を読み続けていた。 「……わかった」 ぱたん、と閉じた本に杖を向け、本棚に本を戻す彼女――タバサ。 「そう言えばさっき、なんかルイズがものすごい勢いで走ってったけど。何かあったの?」 「……知らない」 無表情なタバサの言葉に、キュルケはそれ以上何も疑うことをしなかった。 その日の夕食も、ジョセフは厨房で普通に食事を取っていた。今日の賄いはジョセフ直伝、肉の切れ端をミンチにして様々なつなぎを合わせたハンバーグステーキ。 「こいつぁ貴族様方に出すには勿体無い味だぜ!」と厨房でも大好評を博し、ジョセフも十分に満足して部屋に帰ってきた。いずれマルトーは様々な創意工夫を加え、もっと美味に仕上げてくるだろう。それが楽しみで仕方がない。 だがジョセフは合計で三ヶ月もの食事を抜かれている身分。主人が帰るよりも早く部屋に戻っていないと、また主人はがなり立てて鞭打ちの罰を与えてくるに違いない。 終わった後でエネルギーを使い果たしてへたれる主人の姿はどうにも痛々しい。 「ルイズものう……どうすりゃいいんじゃろ」 どうにも孫の反抗期がひどくて困ってる祖父の顔そのままで、ジョセフは唸った。 承太郎も大概反抗期が酷かったが、それでも性根は優しい子だった。 ルイズもきっと性根は優しいんだろうと信じたい。その片鱗も見えてないので、もはや希望としか言い様がないのが悩みどころである。 人心掌握術が使えない訳じゃないのは、数多い友人達が証明している。 自分に何らかの形で興味を持っている人間との対話は出来るが、自分に興味を持たない人間との対話は難易度が飛躍的に上昇する。 「長いこと生きとっても、ままならんことはあるからのう。ま、気長にやるわい」 常人には針の筵と思えるようなルイズの居室も、ジョセフにとっては機嫌の悪い子猫がひっかいてくる部屋という認識でしかない。 随分と早く帰ってきたので、まだルイズは食堂だろう。そう考えて扉を開けたジョセフの目に、ベッドに脚を組んで腰掛けているルイズの姿が見えた。 「……お、おおぅご主人様。ご機嫌麗しゅう」 「遅かったわねジョセフ。どーこで道草食ってたのかしらー?」 いつものように怒り狂っていない。それどころか、微笑すら浮かべている。 こいつぁヤバくね? ルイズの微笑を見た瞬間、ジョセフは瞬間的に心の中の警報レベルを最大にした。具体的に言うとDIOの館に突入する時のレベルである。 「何怖い顔してるのよ。そこに座んなさい」 そう言いながら顎で毛布を示すルイズ。 ひとまず様子を伺う為、従順に命令に従うジョセフ。 言われた通りに正座するジョセフを見やり、ルイズはどこか満足げに頷いた。 「ええと、ジョセフ。あんたに話があるわ」 「は、はあ」 「やっぱりあれよ、今までちょーっと使い魔に厳しすぎたかもしれないわ私! そこは反省しなくちゃならないわね!」 ジョセフに語りかける、というよりは自分に言い聞かせるような演説口調。 さすがのジョセフの頭にもクエスチョンマークが複数生まれていた。 (……ついにマルトーは食事に悪いモンを混ぜてきたんか?) 有り得ない想像すら誘ってしまうほどの唐突なルイズの発言に、鳩が豆鉄砲食らった顔そのままの顔をするしか出来ないジョセフ。 「だから食事抜きとか全部チャイ! で、私の使い魔なんだから私の護衛とかちゃんと出来ないとね! だから次の虚無の曜日に街に武器を買いに連れてってあげるわ!」 ものすごい早口でまくし立てながら、視線を虚空にさ迷わせるルイズ。 ルイズにとって自分の中の「使い魔に尊敬される立派な主人像」を考えて、懸命にシミュレーションして練習していたものの、予想していたよりジョセフが帰ってくるのが早かった。 結果、練習も程々に本番に挑んでいるというのが今の大惨事の事情であった。 それからも懸命にあれやこれや言っているルイズの言葉から、高難度の取捨選択をしていったジョセフは、辛うじて「もしかしてルイズは使い魔に譲歩しようとしているのではないか?」という仮定に達することが出来た。 ちなみに毛布の上に座ってからこの答えに達するまでに、窓の外の月は随分と動いていたことを付け加えておく。 (……なんじゃ。ルイズも悩んでおったんじゃな) 図書館の少女の言葉に背中を蹴飛ばされ、やっと行動に移る気になったのはジョセフの与り知らないところである。 だが、もがきながら手探りでも歩み寄ってきた彼女に、ジョセフは優しい苦笑を浮かべた。 「ん? どうしたのよ。なんかご主人様に不満でもあるの?」 「……いやいや。なんでもありませんわい」 ジョセフは笑って、決断を下す。 誰にも見せていない、最大の秘密であるハーミットパープルを見せようと。 この状況で、自らの切り札を用意に曝け出すのは危ないと判断し、ギーシュやキュルケにすら秘密にしていた類のものである。 そもそも見えるかどうか怪しいとも思ってはいるが、とりあえず出してみてから判断しよう。 ジョセフは、「ではもう一つ、お見せしたいものがあるんですじゃ」と、言葉を発し。 「どうしてご主人様に隠し事ばっかりしてるのよこのボケ犬ゥゥゥウゥッッッッ!!!」 食事を再び三ヶ月抜かれることになったとさ。 To Be Continued →
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ジョセフが指先一本で天井からぶら下がっている。 数十秒ほどその体勢を維持した後、すとんと床に下りて水差しからコップに水を注ぐ。 そしておもむろにコップを逆さにしても水は零れない。そこから水面に指をつけて水をコップの形のまま取り出すと、水の塊を齧ってみせる。 「波紋が使えるとこういうコトが出来る。後はワルキューレブッちめたり傷を治したりも出来たりするというわけじゃ」 ルイズの部屋の中、ジョセフは改めて自分の持っている能力をルイズに披露していた。 基本的に表面上は平和なトリステインだけどもしもの場合に何があるか判らないから、というルイズの提案と、ジョセフも自らがルイズを主人とする以上は手の内を見せておくことが信頼に繋がる、と互いの思惑が噛み合って今に至る。 ワルキューレをブッちめるのは波紋のせいだけではないが、少なくとも一部を担っていることは確かだ。 ちなみにデルフリンガーは「夜更かしは健康に悪いんだぜー」と既に寝ていた。 「なるほど。で、そっちじゃその波紋を使える人間は、今じゃジョセフ一人だけなのね?」 主人の問いに、ジョセフはこくりと頷いた。 「わしが知ってる限りじゃがな。わしもわしの母も、誰かに波紋を伝える必要がなくなったからの。今じゃ吸血鬼を生み出す石仮面も、吸血鬼を餌とする柱の男もおらん。そして今ではスタンドという新たな力を人間は持つようになった。 波紋は使える様になれば老化を防止するし、寿命もそれに伴ってエラく長くなる。じゃが思うんじゃよ。果たして、人としての寿命を越えて生き続けるのは幸せなんじゃろうかな、と」 普段しないようなシリアスな顔に、ルイズは首を傾げた。 「でも、やっぱり不老長寿って人類の憧れじゃない? 私なら使ってみたいとか思うけれど」 ルイズの疑問は、若さゆえの無邪気さだけで象られていた。ジョセフはどうにも表情の判別の難しい微苦笑を浮かべた。 ジョセフは毛布の上にあぐらを掻くと、幼いばかりの主人を優しい目で見上げた。 「わしが母リサリサと初めて会った時、母は50歳じゃったが見た目はどう見ても二十代後半じゃった。母は言ったものだ、『若さは麻薬のようなものだ。無くても生きていけるが、手にすると抜け出すのが難しくなる』とな。 わしは妻スージーQと共に老いる為、生まれた時から使っていた波紋を止めた。そうでなければ、わしはずっと若い姿のまま老い行く妻を見続けることになるし、妻はずっと変わらぬわしを見続けながら老いて行かねばならん。……そんなのは地獄じゃわい、夫婦揃ってな」 重い内容の言葉も、ジョセフが言えば随分と軽く聞こえるようになる。それがジョセフの持って生まれた人徳とも言えた。 ただルイズはなおも納得できないという顔をしている。 『それが本当の若さなんじゃよなあ。手の中にあるうちは全くその尊さが理解できん』と、しみじみ見つめるジョセフ。 「それに人間、終わりがあるから生きてけるんじゃ。終わりが無くなれば、狂うしかないんじゃよ。狂うしか、な」 かつて戦った宿敵達の顔がジョセフの脳裏を過ぎる。吸血鬼も柱の男も、自らの生存のためにあまりにも大きなものを大量に他人から借り続けなければならなかった。 そんな者達と戦うジョースターの血統は、言わば取立て屋と言ってもいい。人から取り上げすぎたものを取り立て、人々に返す。祖父ジョナサンも、父ジョージ二世も、自分も、そして承太郎も。きっと、子孫達も。 「難儀な血筋じゃわい。……しかしそう考えると、もしやすればジョースター家というのは、この世界からわしの世界に流れていったメイジの末裔なのかもしれんな」 この世界での貴族は、メイジとして得た力を世界のために役立てる、というお題目はある。一万人に一人しか素質が無いはずの波紋を親子三代で顕在させたジョースター家は、もしやすればメイジの血筋かもしれない、と考えてもおかしくはなかった。 「かもしれないわね。だとすると……メイジも波紋って出来るのかしら! ねえジョセフ、ちょっと教えてよ!」 キラキラと目を輝かせるルイズに、ジョセフは思い切りコケた。 「ルイズ! お前わしの話聞いとったんか!」 「それとこれとは話が別でしょー? もし私が波紋使えるなら、それはそれで『ゼロ』なんてイヤァな仇名から脱出出来るのよ! 四系統とかそこらへんの区切りから外れるのはこの際目をつぶるわ!」 早速輝かしい未来を想像して目に流れ星を幾つも飛ばすルイズ。 ジョセフはどうにもガックリと肩に重い物が圧し掛かったのを痛感していた。 (どーにもウチのルイズは妄想癖が強くていかんわいッ。将来エラい詐欺とかに引っかかりそうで目も離せんじゃないかッ) まだ召喚されてから一ヶ月も経っていないと言うのに、ジョセフはすっかりルイズの祖父としての気分をいやと言うほど満喫していた。 サイフをスッた名前も知らない子供を友人と呼べるジョセフにとって、それより長い間寝食を共にしていればワガママ小娘のルイズを孫として扱うのは非常に簡単なことではある。 何より実の孫がアレでアレなので、見た目可愛らしいルイズはむしろ承太郎よりも実の孫としてほしいなーとか考えるのはジョセフがスケベだからという理由だけではない。きっと。 「スタンドは諦めるわ、どうやって出すのかちっとも判んないし! でも波紋ならもしかしたら可能性があるかもしれないわ! やるだけやってみてダメなら諦めるわ!」 『言う事聞いてくれるまで引き下がらないわよモード』になったルイズを見て、ジョセフは深くため息をついた。ああこうなったら絶対に引き下がらんわ、と諦観を決めた。 「一応言っとくが、波紋だって一万人に一人しか使える素質が無いんじゃ」 「もしかしたら一万人に一人が私かもしれないじゃない!」 そう力説するルイズの目は、「一万人に一人が私かもしれない」どころか「一万人に一人こそが私!」と信じきっている! コーラを飲めばゲップが出るくらい確実だと言う位にッ! (うわすげえ。こんな根拠の無い自信って一体どっから出てくるんじゃ) かつて自分が無数の人々に思わせた思いを、ジョセフは自分で抱くことになった。 これは真実を突き付けない限りは諦めない。そう確信したジョセフは、やむなく一応テストをしてみることにした。 「えーと、じゃな……参ったな、人に波紋を教えたコトなんぞないからどうやればいいのかちっとも判らんが……そうじゃな。まず一秒間に10回呼吸するんじゃ」 ジョセフの言葉に、は? と言わんばかりにイヤな顔をしたルイズ。 「何それ。ふざけてるの?」 「波紋呼吸の基礎中の基礎じゃ。この世界にあまねくエネルギーを集約する為に必要なことなんじゃ。ちなみにわしは当然出来る」 ジョセフさんの一秒間に10回呼吸が炸裂するッ! ルイズさんドン引きだッ! 「続いてそれが出来るようになったら、十分間息を吸い続けて十分間息を吐き続ける。最低こんぐらい出来んと、波紋使いとしての素質なんぞないということじゃの。 ……なんなら、もっと早く素質があるかないか判る方法もある」 人外の呼吸法に早くも尻込みしたルイズは、すぐさまジョセフの垂らした釣り針に食いついた。 「そんな便利な方法があるんなら早く教えなさいよ!」 これで波紋使いへの道が開ける、と信じて止まないルイズの目を見ていると、この期待を挫けさせるのはどうにも気が引ける。 が、こういうものは早いうちに折って置いた方が治りも早い。 「素質がある人間じゃと、人体にあるツボを突く事で一時的に波紋が使える様になる。素質が無かったらちぃと痛い目にあうだけじゃ」 結果? 逆切れしたルイズさんがジョセフさんを鞭打ちしまくりましたよ。メルヘンやファンタジーじゃないんですから。 「ゼィ…ゼィ……この犬……ご主人様が罰を与えてるってのに波紋使うなんて卑怯だわ……」 「わしだって鞭打ちが痛いことくらいは知っておりますからの」 息を切らすくらい鞭を振るっても、反発波紋を流すジョセフに効果が無いことは判り切っててるがそれはそれということだ。 肉体と精神の疲労で床にペタンと座り込んだルイズに、ジョセフは緩い苦笑を浮かべながらゆっくりと近付く。 「まああれじゃよ。わしは波紋と魔法は、パンとヌードルのような関係じゃと思っておる」 「……あによそれ」 子供の頃のホリィが叱られて拗ねた時のように涙目で見上げるルイズの頭を撫でてやりながら、ジョセフは言葉を続ける。 「パンもヌードルも小麦粉から作るが、作り方の違いで似て非なる食材になりよる。波紋も魔法も同じじゃ。この世界にあまねくエネルギーを集約することで物理現象を超越した現象を起こすことが出来る。 エネルギーの捏ね方が違うんじゃが、メイジは魔法を使うことが出来るし、波紋使いは波紋を練ることが出来るということじゃ。少なくともルイズはデカい爆発が使えるんじゃから、そのうち使える場面も出てくるわい。それにわしが使い魔なんじゃし、な」 パチンとウィンクしてみせるが、ムカついたルイズはジョセフの脇腹をチョップで突いた。 「おふっ。だから何するんじゃよルイズ!」 「ふーんだ。いいわよどうせ私はゼロのルイズよ。お偉いミスタ・ジョセフジョースターには私の気持ちなんかわかるわけないのよ。ふーんだ」 ああこりゃ何言っても聞いてくれそうにないわい、と判断したジョセフは、苦笑しながら毛布に座り直した。 もし文字通り万が一ルイズに波紋の素質があったとしても、ルイズに波紋を教授する気は毛頭無かった。 様々な「人を超越した者」との激闘を潜り抜けたジョセフは、不老不死の幻想を根こそぎ失っていたのもあるが、本当に波紋を使いこなせたところでルイズの仇名が『ゼロ』なのは変わりないだろうと考えたからでもある。 この世界のメイジは伝統や形式に凝り固まっているのはよく判る。そんな中で新たな力に目覚めたとか言われても、それを世間に認めさせるのは最低でもルイズが自分くらいに年を取った頃になってしまう。下手したら死ぬまで認められない。 それを考えれば、少なくとも「魔法が爆発するだけじゃないようになる」可能性に賭ける方がまだ勝ち目があるというものだ。 (何なら魔法が使えなくとも、このジョセフ・ジョースターのイカサマハッタリに人心掌握術を仕込んでもいい。このハルケギニアを掌握することもきっと出来る――) だがこの誇り高い少女は、世界を掌握することよりも魔法使いとして認められることを選ぶだろう。波紋を使いたいと言ったのも、せめて魔法の代用として使いたいと言っただけだ。決して本心から波紋を使いたい訳ではないのだから。 一度は老いることを選んだ自分が波紋を再開する気になったのは、タフでハードな日々を潜り抜ける為の必要悪だった。だが、今は少し違う。 (ま、しばらくお嬢ちゃんを見守ることにしよう。なあに、波紋使ってたら残り時間は幾らでも延びるわい) むくれてベッドに戻るルイズの後姿を見守る視線は、掛け値なしに祖父のものだった。 外から時ならぬ轟音が聞こえたのは、そんな時だった。 「なんじゃッ!?」 祖父の顔から戦士の顔に表情を一変させたジョセフは、窓を開け放って外の様子を伺う。 「何!? 何なの!?」 ルイズも遅れてジョセフの脇から顔を覗かせる。 ランプの灯っていた室内から月明りの空に一瞬瞳孔が調節された後、見えたのは宝物庫の辺りで巨大な何者かが暴れている光景だった。 「なんじゃありゃあッ……」 「ゴーレムだわあれ! 大きいっ……30メイルはあるわ!?」 ゼロでも流石はメイジ、巨大な何者かの正体をすぐさま看破した。 すぐさまルイズは身を翻し、杖を掴んで部屋を飛び出そうとする。 「ハーミットパープルッ!」 ジョセフの右手から迸る紫の茨が、じたばたと暴れるルイズを押し留める。 「離して! 宝物庫には王国から管理を任されてる貴重な宝物がたくさんあるのよ!? そんなところであんなのに暴れられたら……!」 「勘違いするなルイズッ! 今から階段下りたら時間がかかるっちゅうこっちゃッ!」 そう叫んだと同時に、茨を引き寄せてルイズを腕の中に収めたジョセフは…… 「きゃあああああああああッッッッ!!!?」 開いた窓から、一気に地面へと飛び降り! そのままルイズと共にゴーレムへと駆けていったッ! To Be Contined →
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ルイズが魔法学院から抜け出して約十分。 町からも、街道からも離れた、ある貴族の別荘が見えた。 この別荘は、トリスティンの城から見て、魔法学院から更に離れたところにある。 別荘の主を『モット伯』だが、この別荘を『モット伯の娼館』と揶揄するものもいる。 森の中にある別荘は街道からも見ることは出来ない。 しかし、街道を通る行商人たちは、年頃の娘が女衒らしき男に連れられて、森の中に入っていくのを何度も見かけていた。 ドシャッ、と音を立てて、ルイズは森の中に着地した。 別荘の周囲は壁に囲まれており、忍び込むのは容易ではないと感じさせる。 そこでルイズは思考した。 『建物の大きさ、庭の形、衛兵の位置を、空中から見た限りでは、空からの侵入がもっとも確実だが、私は空を飛ぶことが出来ない』 …ふと、ルイズを目眩が襲う。 ブルブルと頭を振って、気を確かにしようと気合いを入れる。 おかしい。何かがおかしい。自分は空を飛べないはずだ。では、どうやってここまで来た? 馬でもない。馬で来るに速すぎる。タバサのシルフィードに乗せてもらえば短時間で来ることも可能だが、そんなはずはない。 空から別荘を見た記憶がハッキリと残っている。自分は、いつの間にか空を飛んだのか!? ゴクリと唾を飲み込み、深呼吸して、考えを中断させる。 「今はシエスタを助けなきゃ」 そう呟いて、ルイズは別荘の正門へと歩いていった。 正門から堂々と入り込んだルイズは、使用人に応接室へと案内され、モット伯の歓迎を受けた。 その途中、女性の使用人を何人か見かけたが、使用人と呼ぶには幼い少女も混ざっている。ルイズはそれに嫌悪感を感じた。 それに気づいたのか、モット伯はルイズに話しかけた。 「ああ、この館の使用人が何かご無礼を致しましたかな?」 「そうとは言ってないわ」 「そうでございましたか。いやはや、彼女たちは貧しい家の出でしてな。私は彼女らに職を与え、教育を施し、生きるための場所を与えているのです。 教育は私の生き甲斐でしてな!」 そう言って高笑いするモット伯に、心底つまらなそうな目を向けると、モット伯は不敵な笑みを浮かべた。 「そうそう、あのシエスタというメイドの事でしたな。彼女は実に気だてが良いのですよ。 良い教育を受けさせれば、メイドだけでなく教育係の口もありましょう。ですから私が彼女を預かろうとしたのです。料理長も快く…」 「快く? なら、あの金貨は何?」 腹立たしさを隠しきれないルイズは、自分の声が心なしか低くなっているのに気づいたが、今更怒りを隠しても仕方ないと考えていた。 「…おやおや、ご存じでしたか。何せ優秀なメイドを引き取るのですからな。私からあの料理長…ええと、確かマルトーと言いましたか、彼へのココロザシというものです」 「そう? まあいいわ。それよりもシエスタに会わせて貰えないかしら」 「ははは、そうそう急ぐこともないでしょう。夜分にこの別荘をお尋ね頂いたのです。シャンパンでも開けましょうか、このシャンパンはなかなか珍しいものでしてな」 モット伯は、まるでルイズを無視するかのように話を続けると、使用人にシャンパンを持って来させた。 「雲が月を隠すと、雲の隙間から鈍い光が漏れます。雨が降った後であれば、月明かりが蛍のように雲を光らせるのです。このシャンパンはそれをイメージしたものです」 シャンパンを開けると、ぼんやりと輝く白い煙が出て、さながら星空のように天井を覆った。 ギーシュとは違う意味でキザったらしい態度を取るモット伯に、ルイズも我慢が出来なくなった。 「もういいわ!シエスタはヴァリエール家で引き取る約束が済んでるのよ!すぐにシエスタに会わせなさい!」 モット伯は貴族ではあるが、ヴァリエール家に比べればその格式には雲泥の差がある。 ヴァリエール家で引き取るのは出任せだが、家の名を使ってモット伯を脅かせば、少しは効果があるはずだと、ルイズは思いこんでいた。 「目も耳もありません」 だが、突如後ろから聞こえた声にルイズは背筋を凍らせた。 ルイズは腰に携えた杖を掴もうとしたが、声の主に腕を掴まれ、杖は床に滑り落ちてしまう。 「光る煙を出すシャンパンなんて悪趣味だと思ったけど、頭の中も悪趣味ね!」 気丈にも腕を掴まれたまま叫ぶルイズ。 ディティクトマジックという魔法がある。 マジックアイテムが仕掛けられていないか、誰かに魔法でのぞき見されていないかを探す魔法で、光り輝く粉が探査領域を舞うという特徴を持つ。 煙を出すシャンパンはカモフラージュだったのだ。 悪趣味なシャンパンが、何らかのマジックアイテムだったとしたら、魔法の使えないルイズでも『怪しい』と気づいただろう。 しかし、ルイズはモット伯の雰囲気に飲まれていたのだ。モット泊はメイジとして強い訳ではないが、自分のキャラクターをよく知っている。 時には人に取り入って、時には人を蹴落として、今の地位を手に入れたのだ。 「いかが致しますか」 ルイズを押さえつけているメイジは、グレーのマントの仲から杖をちらつかせ、ルイズを地面に押さえ込んだまま言った。 モット伯は短く「再教育だ」と言って、気味の悪い笑顔を見せた。 あまりの気味悪さに、ルイズはありったけの罵声を飛ばそうとしたが。 「このヘンタイ!こんな事をし…………!…………!!!…………!」 ルイズの声はモット伯に届くことはなかった。 ルイズはサイレントの魔法をかけられ、まるで荷物でも運ぶかのように地下牢へと運ばれていった。 しばらくして静かになった応接間で、モット伯はルイズの杖を拾い上げると、舌先で握りの部分を舐めた。 ルイズを取り押さえたメイジはそれを見ていたが、さしたる関心を向けることなく、事務的な口調でモット泊に声をかけた。 「先ほどの娘、ヴァリエールと申しましたが」 「ああ? あれは、あのヴァリエール家の三女だ。君は知っているかね?数々の優秀なメイジを輩出したヴァリエール家の三女は、ゼロのルイズと呼ばれている」 「ゼロ、ですか」 「魔法成功率ゼロ、ゼロのルイズ。何とも愉快じゃないか。彼女は魔法を使おうとすると爆発を起こすそうだ」 「爆発?」 モット伯は、オールド・オスマンの部屋にあるものより小さい『遠見の鏡』を見る。 「この別荘には空を飛んで近づいてきていた。フライかレビテーション程度は使えるのだろうが、風を起こそうとしても、練金しようとしても爆発するそうだ」 モット泊と、グレーのマントをつけたメイジは、応接室を出て『教室』と名付けた部屋に向かう。 「『平民』の体はさんざん味わったが、『高貴な貴族』の味も味わってみたくてねぇ。あの娘は出来損ないのメイジだが、ヴァリエール家の三女だ。血統は申し分ない」 「ヴァリエール家を敵に回すことになりますぞ」 「心配はない。魔法の使えぬメイジに貴族の価値はないのだ。そうだな…『世間知らず極まりないヴァリエール家三女は、メイドを探しに危険な森の奥へと入り込み、オークに嬲り殺された』…とういうシナリオはどうかね」 「ありきたりですな」 男は、相変わらず事務的な口調で答えていた。 ルイズは牢屋の中から、周囲を見渡していた。 牢屋は二重構造になっており、通路に面した鉄格子は細い鉄棒で作られている。 牢屋の奥にはもう一つ鉄格子がある。格子の太さは屈強な戦士の二の腕ほど、格子の幅は広く、ルイズならすり抜けることも可能だろう。 奥は暗くて何も見えないが、糞便のような不快な臭いが漂ってくる。 ルイズはやり場のない怒りを発散しようとして、鉄格子を蹴飛ばそうとした。 プギィーーーッ! おぞましい叫び声と共に、鉄格子の奥から毛に包まれた腕が伸びて、その指がルイズの鼻先をかすめる。 「…………!!!」 ルイズは悲鳴を上げたが、サイレントの魔法をかけられたままなので、その声は響かない。 ブギィーーーッ!ギィーーーーッ! 不快極まりない叫び声から、奥の牢屋にいる生き物が何なのか理解できた。 二本足で歩き、人間を待ち伏せして殺すだけの知能を持ち、木の幹を棍棒として使うどう猛な獣、オークだ。 オークは、戦争の道具としてメイジに飼われることはあるが、使い魔になることはほとんどない。 平民を使い魔にした方がマシだと言われるほど、オークは嫌われている。 人間の価値観から見てあまりにも下卑、それがオークへの評価だった。 まれに長老と呼ばれる知能の高いオークもいるらしいが、噂でしかない。 この館の主人がなぜオークを飼っているのか知らないが、ロクな理由ではないだろう。 ルイズは「お似合いね」と、呟いた。 しばらくして、『教室』と名付けた部屋にモット伯が姿を見せる。 ベッドの上に寝かされ、鎖で両手足を拘束されたシエスタは、これから何をされるか分からない恐怖に包まれていた。 「待たせてしまったね」 モット伯はわざとらしく、見せびらかすように、ルイズの杖を振る。 それを見たシエスタの表情が変わった、恐怖とは違う感情がわき上がったのだ。 「さて、シエスタ!君は困ったメイドだ、由緒あるヴァリエール家の三女をひどい目に遭わせてしまうのだからな!」 そう言って、シエスタにレビテーションの魔法をかけ、荷物を運ぶのと同じようにして地下牢へと運んでいく。 地下牢に降りると、シエスタはルイズの入った牢屋の隣に入れられた。 「ルイズ様!」 「………!」(シエスタ!) ルイズがシエスタを心配して声を出そうとするが、サイレントの魔法のせいで声が届かない。 「………!」(あんた大丈夫なの?アイツに何かされてない?) 「ルイズ様…まさか、私を助けに…」 「………!」(べっ、べつにあなたを助けに来た訳じゃないんだからね。ちょっと気になっただけよ) 「そんな、私、こんな迷惑をかけてしまったなんて…」 「………!」(だーかーらー!) 通じているのか通じていないのかよく分からない会話は、奥の部屋から聞こえてきた鳴き声に中断させられた。 ブギィィーーー! ガシャン!と、鉄格子に巨体がぶつかる音がする。 身長2m、体重は400kgを超えるであろう獣の迫力に驚き、シエスタは体を硬直させてしまう。 「さて、今日は何のお勉強をしようかね。…お友達との再会を記念して、友情のお勉強をしましょう!」 そう言うとモット伯は、ポケットの中から鍵を取り出して、牢屋の奥へと投げ込んだ。 鍵はチャリンと音を立ててオークの牢屋に落ちた。 「どちらかが囮にでもなれば、鍵も外せましょう!」 囮? 冗談じゃない。オークの実物を見たのは初めてだが、その残酷さは話に聞いている。 逃げるための魔法も使えないのに、囮になるなんて考えられなかった。 ルイズは、悩んだ。 どう考えても種絶望的な結果しか導き出せないからだ。 「…ルイズ様。マントを、できるだけ大きく、振っていただけませんか」 シエスタの言葉を聞いて、ルイズは頭にクエスチョンマークを浮かべたる。 「牢屋の前でバタバタと振って下さい。オークは、ひらひらした物を見ると、それに興味を牽かれるって、お爺ちゃんが言ってました」 一片の曇りも、迷いもなく、オークを見るシエスタに、ルイズは驚いた。 ルイズにはなるべく安全な手段で囮を任せ、自分は危険な場所へと赴こうとしているのだ。 ルイズは今、杖を持っていないし、自分の味方になるメイジもいない。 しかし今ここに、誰よりも信頼できる『仲間』がいた! 絶望的な状況には変わりないのに、絶望を絶望だと感じさせない。 シエスタの勇気は、今、貴族の誇りよりも遙かに気高く、そして崇高に輝いていた。 ルイズはマントを脱ぐとシエスタの牢屋に投げた、シエスタは驚き、ルイズを制止しようとする。 「…だめです!そんな、危険なことは、私がやります!」 幸か不幸か、シエスタの声に興味を惹かれたオークは、気味の悪い声で叫びながらシエスタの牢屋へと手を伸ばした。 鉄格子をガシャンガシャンと震える。 シエスタは、自分の言葉がルイズを死地に赴かせてしまったのだと悟って狼狽えた。 しかし今更何をすることも出来ない。ルイズから預かったマントを手に取り、闘牛士のようにオークの前へとちらつかせ、必死になってオークを煽った。 ガシャン!ガシャン!と響く鉄格子の音。そしてオークの叫び声。 生きた心地のしなかったが、死んだ気にもならなかった。 ルイズは鉄格子の隙間に体を滑り込ませると、奥に落ちている鍵へと静かに歩く。 ブギィイイイイイイーー! 吐き気のするような声が聞こえてくるが、それほど気にならない。 鍵だけを見て、静かに歩く。 あと5歩。 ギィイ!ピギー! あと4歩。 ガシャン!ガシャン! あと3歩。 ブゥィイイイーーッッ! あと2歩。 ギィィィ!! あと1歩。 きゃあっ! 突然聞こえてきたシエスタの悲鳴に驚き、シエスタを見る。 シエスタはオークの興味を牽こうとして近づき過ぎたのだ。すでに片手を掴まれ、オークの牢屋に引きずり込まれそうになっている。 「やめなさい!」 気づいたときには叫んでいた。 オークの視線がルイズを捉えると、オークはその巨体からは想像も出来ない速度でルイズに接近し、ナワバリを荒らされた怒りをルイズにぶつけた。 強烈な一撃を受けたルイズは宙を舞い、鈍い音を立てて鉄格子に衝突し、力なく崩れ落ちた。 「ほっ!いい見せ物でしたな」 モット伯はそう呟くと、すでに興味は失ったのか、牢屋を後にした。 ルイズとシエスタの体を味わってやろうと思っていたが、オークに蹂躙された後では興味も失う。 オークに触れた者はオークと同じだと言わんばかりの態度で、モット伯は二人を見捨てた。 それが彼の命取りだった。 鉄格子に叩きつけられ、気を失うまでの一瞬の間に、ルイズは意識の中で誰かと会話していた。 『やれやれ…もう少し速く気絶してくれれば助けられたんだがな』 「…誰よ、あんた」 『俺のことはいい。時間がない、少し体を貸してもらう』 「あたしの体を?」 『このままじゃ助けられないんでな』 「助けるって、オークから? あんたが何者か知らないけど、出来るの?」 『ああ、任せな』 ルイズは、見ず知らずの相手に、まるで長年戦いを共にした戦友のような奇妙な感覚を覚えた。 そして「頼んだわよ」と告げて、意識を手放した。 ---- //第六部,スタープラチナ #center{[[前へ 奇妙なルイズ-11]] [[目次 奇妙なルイズ]] [[次へ 奇妙なルイズ-13]]}